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タイプ「神社・寺院・教会」
善寳寺 ( 山形県 鶴岡市 )
JR羽越本線鶴岡駅の北西約10km、湯野浜温泉から約4km。鶴岡市の西部にあり、市街地と日本海を隔てるように立つ高館山の北東麓に、庄内平野と向かい合うようにある。天慶・天暦年間(938~957)の創建と伝えられ、その開基に関する伝承は、平安末期の説話集「今昔物語集」*にも載っている。境内にある貝喰の池には龍神伝説*があり、そのため...
本山慈恩寺 ( 山形県 寒河江市 )
JR左沢線羽前高松駅から北へ約2kmにある。746(天平18)年に聖武天皇の勅命により、東大寺の毘盧遮那仏(大仏)の開眼を行った導師婆羅門僧正が開山したとも伝えられる古寺で、聖武・鳥羽・後白河3帝の勅願所であった。宗派としては当初、興福寺系の法相宗であったが、その後、天台、真言、時宗の影響もうけ、同時に葉山権現など修験道との関...
熊野大社 ( 山形県 南陽市 )
赤湯駅から北へ約5km、町並みを見下ろす丘の上にある。創建*の由緒は不明だが、8世紀にはすでに山岳信仰などの下地があった東北地方に熊野信仰*が浸透しつつあることを背景に、806(大同元)年に平城天皇の勅命により紀伊の熊野三山の神々が勧請され再建されたという。そののち、慈覚大師の天台系などの仏教宗派の影響を受けた古社である。...
史跡慧日寺跡 ( 福島県 磐梯町 )
JR磐越西線磐梯町駅北約1.5km、磐梯山へ連なる山並みの山裾にある。平安時代初期に徳一*が開いた慧日寺は、江戸後期の『新編会津風土記』によると、「徳一當寺ニスミセシヨリ以來相續テ寺門益繁榮シ子院モ三千八百坊ニ及ヒ數里ノ間ハ堂塔軒ヲ比シ」たという。徳一は南都仏教の法相宗の出身だが、同寺は山岳信仰と密接な関係があり、磐梯山を...
新宮熊野神社(長床) ( 福島県 喜多方市 )
JR磐越西線喜多方駅の南西約4kmにある。社伝によると、1055(天喜3)年源頼義、義家*親子が「前九年の役」*で陸奥征討の途中、現在の会津若松市河東町に熊野三社を勧請して創建し、「後三年の役」*で再訪した義家が現在地での造営を命じ、1089(寛治3)年に遷座したと伝えられる。 大イチョウを前にした拝殿は長床*と称し、棟高11.3m...
白水阿弥陀堂 ( 福島県 いわき市 )
JR常磐線内郷駅の西へ約2km、経塚山に三方を囲まれ、南に白水川を望んで建つ。阿弥陀堂の前と左右には大きな池が囲い、浄土庭園が広がる。浄土庭園の中島には北岸の阿弥陀堂に渡るため、南北二本の橋が架けられている。 藤原清衡の養娘徳姫(のちに徳尼)が、夫で「海道平氏」と称した岩城則道を弔うため1160(永暦元)年に建てたものと伝...

写真提供:湯川村教育委員会
勝常寺 ( 福島県 湯川村 )
JR磐越西線会津若松駅から国道121号線経由で北西に約10km、田園風景が広がる湯川村のこんもりとした木立の中に勝常寺はある。 寺伝によれば、810(弘仁元)年に慧日寺の開祖でもある徳一*が開創したといわれている。中世には一時衰退したが、仁和寺の僧玄海が再興し、会津を支配していた芦名氏の庇護をうけ、七堂伽藍が備わり100ヶ寺ほど...
恵隆寺(立木千手観音) ( 福島県 会津坂下町 )
恵隆寺は、JR只見線塔寺駅から東へ1.5km、会津坂下駅からは北西に約3kmの微高地に建つ。「立木千手観音」は恵隆寺の本尊で、観音堂*に納めれている。恵隆寺の起源は、欽明天皇のころ(540年ごろ)、2.5kmほど西北にある高寺山遺跡の場所に梁国の僧青岩によって開かれ一時は隆盛を誇ったが、慧日寺(磐梯町)との戦いに敗れ荒廃し、1190(建...

願成寺(会津大仏) ( 福島県 喜多方市 )
JR磐越西線喜多方駅の北6kmほどのところにある。願成寺の始まりは法然の高弟で浄土宗多念義派の祖隆寛が法難に遭い、奥州に配流となったが、途中相模国で遷化したため、1227(嘉禄3)年に意を受けた法弟の實成が遺骨を配所があった加納松原(現在地の南方)に葬り、一宇を建立したことによる。このため、同寺では隆寛を開山、實成を創立とし...

筑波山神社 ( 茨城県 つくば市 )
筑波山の中腹、老杉に包まれた境内に大きな鈴が印象的な拝殿をはじめ境内社が並ぶ。本殿は男体山と女体山の山頂付近にある祠で古代の山岳信仰を今も伝えており、2峰寄り添う姿は男女陰陽・夫婦和合の神にふさわしい。 延喜式内名神大社に数えられた格式ある社だが、平安時代に僧徳一*によって知足院中禅寺が開かれ、筑波の神は筑波両大権...
笠間稲荷神社 ( 茨城県 笠間市 )
京都の伏見稲荷や九州の祐徳稲荷、あるいは愛知の豊川稲荷と並び称される稲荷大社。市街の中央に鎮座し、両側にみやげ物店が立ち並ぶ仲見世を抜けると、朱の大鳥居、楼門、拝殿、本殿*と堂々とした建物が並んでいる。 創建は651(白雉2)年と伝えられる。クルミの木の下に小さな祠が祭られたのが始まりといわれ、「胡桃下稲荷」*とも呼...

楽法寺(雨引観音) ( 茨城県 桜川市 )
坂東三十三ケ所第24番札所。加波山の尾根続きになる雨引山の中腹斜面に真壁城の薬医門を移築した黒門をはじめ、仁王門*、本堂、鐘楼堂、多宝塔、本坊、客殿など多数の堂宇が甍を並べ、仁王門の脇には城郭を思わせる大石垣がそびえる荘厳な寺である。 587(用明天皇2)年中国の帰化僧法輪独守の創建と伝え、その後、勅願寺として朝廷や真...
写真提供:鹿島神宮
鹿島神宮 ( 茨城県 鹿嶋市 )
JR鹿島線鹿島神宮駅の南東に、約70万m2の広大な樹叢*を有し、その中に社殿が建つ。創建については不明な点も多いが、すでに4~5世紀、大和政権が東国に進出をしていく過程における、いわゆる「東征」の重要拠点であり、祭祀も行われたのではないかといわれている。そのため、創建神話として、神武天皇が「東征」の折、武甕槌大神...
牛久大仏 ( 茨城県 牛久市 )
JR常磐線牛久駅から東へ約9km、圏央道阿見東インターチェンジの近くにある。牛久大仏(阿弥陀如来像)は、浅草にある浄土真宗東本願寺派本山東本願寺の関連施設の一部として1992(平成5)年に建立、開園された。 牛久大仏は高さ120m(像高100m、台座20m)あり、青銅(ブロンズ)製仏像の高さとしては世界一ということから、ギネス世界記録...
鑁阿寺 ( 栃木県 足利市 )
鑁阿寺は足利學校跡の北側に隣接する。本尊が大日如来であるところから、市民の間では「大日様」とも呼ばれて親しまれている。 1196(建久7)年、足利義兼が鑁阿と号し、その邸内に持仏堂を建てたのが始まりとされる。それ以後、足利家累代の氏寺として栄え、鎌倉時代には堀の外縁部に12の支院を配し、一山十二坊へと発展した。江戸時代に...

太平山神社 ( 栃木県 栃木市 )
栃木駅の西方約4km、太平山(343m)の山頂の東側には太平山神社が鎮座する。祭神は瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)。創建は827(天長4)年に円仁が当山に参拝した際とも、神護景雲年間(767~770年)ともいわれるが、明らかではない。 境内には、太平山神社(太平権現)、連祥院般若寺などがあり、平安時代以来神仏習合の霊場であった。約1,00...
満願寺 ( 栃木県 栃木市 )
栃木市内の北西、出流山(いずるさん)の中腹、老杉におおわれた静寂境にある坂東三十三ケ所霊場第17番札所。765(天平神護元)年、勝道上人が開いたといわれ、820(弘仁11)年、弘法大師の巡錫の折、本尊の千手観音像を刻んで安置したと伝えられる。勝道上人が日光を開いたことから徳川氏の尊信が厚く、日光の修験僧は必ず一度はここで修行...
乃木神社 ( 栃木県 那須塩原市 )
西那須野駅の東約2km、乃木希典(まれすけ)*が休職中の多くを、農耕に従事して過ごした別邸の地にある。長い参道800mはサクラ並木になっており、サクラの時期にはたいへんな混雑になる。神社は乃木夫妻が殉死したあと、1916(大正5)年に創建された。杉木立のおおう境内には本殿や拝殿のほか、農事日記や農具を収めた宝物館がある。神社の...

日光二荒山神社 ( 栃木県 日光市 )
恒例山の西麓にあり、東照宮造営以前は二荒山(日光山)信仰によって山内の中心を成していた。主神大己貴命(おおなむちのみこと)は秀峰二荒山(男体山)の神、妃神の田心姫命(たごりひめのみこと)は女峰山の神、御子神の味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)は太郎山の神である。別宮の滝尾神社・本宮神社とともに、もとは日光三...
日光二荒山神社中宮祠 ( 栃木県 日光市 )
中禅寺湖の北岸、男体山を背後にする。湖畔に銅鳥居が立ち、中門・拝殿・本殿など、総朱塗、銅板葺の華麗な社殿が湖に面して立ち並んでいる。 784(延暦3)年、勝道上人が二荒山(男体山)の冬季遥拝所として、この地に二荒山権現を祭ったことに始まると伝え、以後、山岳崇拝の道場として栄えた古社である。江戸時代までは神仏習合の信仰...
大猷院霊廟 ( 栃木県 日光市 )
東照宮の西方約500m、大黒山にある徳川3代将軍家光公の霊廟である。家光公は1651(慶安4)年4月、48歳で没し、その遺命によって同年5月、遺骸をここに葬った。霊廟建築は1652(承応元)年2月に工を起こし、翌年4月に完成。建築総指揮は幕府の作事方大棟梁であった平内大隅守応勝。 境内は東照宮に準じた伽藍配置であるが、東照宮の絢爛豪...

日光山輪王寺 ( 栃木県 日光市 )
長坂を登りつめると、日光開山勝道上人像の前へ出る。太い眉、大きな鼻、右手に錫杖を持つ上人像の後ろに、山内最大の建物である三仏堂がどっしりと静まっている。このあたりが輪王寺の中心部で、三仏堂を本堂に、勝道上人像をとり囲むように一山15院の甍が連なる。神仏習合の地であるため、このほか四本竜寺・開山堂・大猷院廟・慈眼堂など...

滝尾神社 ( 栃木県 日光市 )
輪王寺行者堂から滝尾神社へ向かっていくと、「大小便禁制の碑」*がある。ここから滝尾神社の神域に入り、筋違橋から白糸の滝が見える。さらに老杉の木立を縫って続き、苔むした石段の上に、石鳥居、楼門、拝殿、唐門、本殿などの華麗な社殿が立ち並ぶ。 東照宮遷座以前は、二荒山神社、本宮神社とともに三社権現の一つとして庶民の信仰...

常行堂・法華堂(二つ堂) ( 栃木県 日光市 )
二荒山神社の近く、大猷院廟への参道沿いに北面して立つ2棟の建物。848(嘉祥元)年、慈覚大師が創建したと伝える天台宗の修行道場である。 もとは東照宮三神庫のあたりにあったが、東照宮造営のため移転した。向かって左が常行堂、右が法華堂で、ともに宝形造、総朱塗、2棟は歩廊でつながり、常行堂が和様、法華堂は唐様の建築であるが、...

慈眼堂 ( 栃木県 日光市 )
常行堂・法華堂をつなぐ歩廊を抜け、坂道を200mほど登りつめた山の上にある。慈眼大師の号を贈られた天海大僧正の墓所で、廟塔・拝殿のほか、阿弥陀堂・経蔵・鐘楼などが立ち、参道の賑わいとはうって変わって、ものさびしい雰囲気に包まれている。 慈眼堂拝殿は八棟造、総朱塗の豪壮な建築、その背後に廟塔がある。石柵で囲まれた高さ約3...

日光山中禅寺立木観音 ( 栃木県 日光市 )
坂東札所三十三観音第十八番札所。日光開山の祖、勝道上人が784年に建立した。 中禅寺はもと二荒山神社中宮祠の別所(別当寺)で、その境内にあったが、1902(明治35)年の山津波による倒壊後、日光修験の修行地の一つであった歌が浜の現在地に再建された。本堂には、高さ4.8mの木造千手観音立像(立木観音)、脇侍として源頼朝が戦勝祈願...
写真提供:宇都宮二荒山神社
宇都宮二荒山神社 ( 栃木県 宇都宮市 )
二荒山神社は「下野国一の宮」であり、宇都宮はこの神社の門前町として発展した。神社の別称であった「宇都宮」が、市名の由来である。いまも神社は宇都宮一の繁華街にあり、市の中心部に建つ。大鳥居を通り抜け、石段をのぼり神門をくぐると、境内には拝殿・本殿・神楽殿などが立ち並ぶ。これらの社殿は1868(慶応4・明治元)年の戊辰戦争に...
高勝寺 ( 栃木県 栃木市 )
JR両毛線岩舟駅の北方、約200mの岩船山*山頂にある。770(宝亀元)年、弘誓坊明を願という地蔵信仰に厚い僧が、夢のお告げにより、生身の地蔵菩薩を求めて岩船山に登ったところ、夢の通りに地蔵を拝したとして、堂宇を建てたのが始まりという。入口の山門は弁柄塗装の楼門で、1742(寛保2)年の再建、棟高12.95mは県内一の大きさ。山上には...

写真提供:足利織姫神社奉賛会
足利織姫神社 ( 栃木県 足利市 )
足利織姫神社は織姫山の中腹にある。参拝するには229段の石段を直登する。足の不自由な方は車 で大きく裏手に回って山頂まで行ける。山名は古くは「機神山(は たがみやま)」・「魚住山(うおずみやま)」などと呼ばれていた。 1879(明治12)年、足利織物業の繁栄を祈って、市内の八雲神社境内から 遷宮された。織物の神八千々姫命と天...
惣宗寺(佐野厄除大師) ( 栃木県 佐野市 )
開基は藤原秀郷と伝えられ、佐野城跡のある春日岡にあったが、1600(慶長5)年、佐野城築にあたり現在の地に移転した。 境内は広く、本堂、鐘楼など古い堂宇が建つ。境内の北西部に東照宮が祀られ、本殿・拝殿・唐門・透塀が県の文化財に指定されている。江戸時代後期の建築様式が随所にうかがえ、なかでも欄間、妻飾りの装飾彫刻は見事で...
写真提供:大雄寺
大雄寺 ( 栃木県 大田原市 )
曹洞宗の禅寺、黒羽藩主大関家の菩提寺であった大雄寺は、大田原市余瀬の白旗城北東端に1404(応永11)年に創建されたが、大関高増による黒羽移城とともに現在の地に移された。境内には大関家代々の墓地もある。 本堂・坐禅堂・庫裏・総門・廻廊・御霊屋・鐘楼の七堂伽藍が完備し、本尊は木造釈迦如来坐像である。茅葺の伽藍は、室町時代...

鎌原観音堂 ( 群馬県 嬬恋村 )
1783(天明3)年の浅間山大噴火の時に、鎌原村(現在の嬬恋村の一部地域)を埋め尽くした浅間山噴火土石なだれから残った唯一の建物。大噴火の土石なだれは、時速100km以上のスピードで火口から12km離れた鎌原村を襲い、村は5~6mの深さに埋もれた。 災害前の観音堂は村から石段で50段上がった場所にあった。その階段を駆け上がって助かっ...

黒瀧山不動寺 ( 群馬県 南牧村 )
標高870mの黒瀧山に立つ山岳信仰の霊場。上州南牧谷の奥深い黒瀧山の岸壁から滝しぶきの舞う所にあり、山門から不動堂、本堂、黒瀧泉、そして開山堂とつづく。江戸時代前期の1675(延宝3)年、徳川綱吉が帰依した潮音禅師によって中興開山された。 行基作と伝わる不動明王を安置し、厄除けの不動の霊場として千余年の歴史を重ねる静寂幽玄...

茂林寺 ( 群馬県 館林市 )
茂林寺前駅の南東約300m、杉の茂った平地にある。1426(応永33)年開山の末寺18カ寺を有する大寺で、むかし話で登場する「分福茶釜」*があるので有名。山門を入ると、ユーモラスな22の大きな陶製の狸が両側にずらりと並んで迎えてくれる。本堂内の宝物室には分福茶釜を初め狸のコレクションや寺宝が展示されている。 茂林寺沼とその周辺は...

高崎白衣大観音 ( 群馬県 高崎市 )
1936(昭和11)年、高崎市の実業家井上保三郎氏*によって、高崎歩兵第一五連隊戦没者慰霊供養、観光高崎の建設を目的に、白衣大観音像が建立され開眼法要された。 高さおよそ42m、9階に分かれた内部には20体の仏像が安置され、上部まで階段で胎内巡りができる。上部からは三国山脈、秩父・八ガ岳、赤城の山々が眺望できる。参道にはみや...

写真提供:少林山達磨寺
少林山達磨寺 ( 群馬県 高崎市 )
市の西、鼻高丘陵の北斜面にある。その昔、行基菩薩作とされる観音菩薩をお祀りする御堂があった。江戸時代に碓氷川の氾濫の折流れ着いた光り輝く香木で、一了居士が達磨大師坐像を彫刻し安置したのが達磨寺となる由縁である。 1697(元禄10)年に水戸光圀公の帰依された心越禅師を開山と仰ぎ、前橋城の裏鬼門を護る寺として、第5代前橋城...

榛名神社 ( 群馬県 高崎市 )
榛名湖南西約2kmの榛名山中腹にある。延喜式内社で創立は用明天皇(585~587年)のころと伝わる古社。修験者の霊地として古くから榛名山信仰の参詣者を集め栄え、中世以降は神仏習合し満行宮とも称して、上野寛永寺の管理下に繁栄を極めた。 境内は約15万m2、老杉・奇岩・渓流に囲まれて山気に満ち、社殿は屹立する巨岩の間に...

三夜沢赤城神社 ( 群馬県 前橋市 )
県内外に散在する赤城神社約300社の総本社のひとつといわれる神社である。杉木立ちの中に、上野国二の宮*と称されるこの社がある。社伝によると、古代、豊城入彦の命の子孫である上毛野君という氏族の創祀といわれ、戦国時代には、上杉・北条・武田の3氏を始め各武将の崇敬を集め栄えた。 本殿・中門などは県の重要文化財。神社の北裏2km...

大光院 ( 群馬県 太田市 )
太田駅の北西約1.8kmにあり、「子育て呑龍さま」と広く呼び親しまれている。1611(慶長16)年、徳川家康が先祖とした新田義重の旧跡を訪ねて寺を建て、呑龍上人(どんりゅうしょうにん)*を招いたと伝えられる。呑龍上人は、当時農民の間で行われていた赤子の間引を悲しみ、農民を説得し子育てにつとめたので子育呑龍と慕われるようになった。...

一之宮貫前神社 ( 群馬県 富岡市 )
上州一の宮駅の北西、北は高田川、南は鏑川の清流にはさまれた丘陵上にある。創建は社伝によると現在の社地に社を定めたのが西暦531年とされる。 参道を登りつめると朱塗の大鳥居が立ち、その鳥居をくぐると下りの石段の下に社殿が整然と立ち並ぶ。総漆塗極彩色の本殿は、1635(寛永12)年、江戸幕府第3代徳川家光によって造営されたもの...

妙義神社 ( 群馬県 富岡市 )
妙義山の主峰、白雲山(1,104m)の中腹にある。今からおよそ1500年前、宣化天皇の時代に創建されたと伝わる古社。春には参道や神社境内にある樹齢200年余りのしだれ桜が見事である。樹木がうっそうと茂る奥深い境内には、色鮮やかなお堂が立ち並ぶ。 黒漆塗り、権現造り*の本殿をはじめ各社殿とも江戸時代の建築様式の壮麗なもの。また関...

写真提供:氷川神社
氷川神社 ( 埼玉県 さいたま市 )
大宮駅の北東約1.5kmにあり、武蔵国一宮として知られる延喜式内の古社である。関東に多い氷川神社約280の総本社でもある。新都心駅近くの一の鳥居から2kmも延びる参道は、車も通行できるが、一部は歩行者専用になっている。参道の両サイドは杉、ケヤキ、スダジイ、エノキなど30種以上、約650本の樹木が二の鳥居、三の鳥居へと導く。長い参道...

写真提供:Masao Inomata
玉敷神社 ( 埼玉県 加須市 )
埼玉県北東部の加須市にあり、延喜式神名帳に名を連ねる古社である。現在より数百m先の正能(しょうのう)地区にあったが、兵火にあって焼失。その後私市(きさいち)城の大手門前に再建されたが、程無く(1627(寛永4)年頃)現在地に移転鎮座した。本殿・幣殿は1816(文化13)年の建築、拝殿は1898(明治31)年の修築、神楽殿は1836(天保7...

写真提供:妻沼聖天山歓喜院
妻沼聖天山歓喜院 ( 埼玉県 熊谷市 )
熊谷市の真北、妻沼集落の北西にある。『源平盛衰記』や歌舞伎の『実盛』物語で知られる斎藤実盛が、 1179(治承3)年に聖天堂を創建したのに始まり、次いで実盛の次男実長(阿請房良応)が別に歓喜院を開山したという。明治初年、一山すべて歓喜院所属となったが、中心は聖天堂である。 聖天堂の本尊大聖歓喜天は弘法大師が唐より仏法の...

写真提供:喜多院
喜多院 ( 埼玉県 川越市 )
川越大師として親しまれている天台宗の関東総本山で、市街北東部にある。830(天長7)年、慈覚大師の草創になり、1588(天正16)年、天海僧正が来住して寺運が開けた。しかし 1638(寛永15)年の川越大火では山門を残し、すべて灰と化した。 喜多院には江戸城内の建物の遺構である客殿・書院・庫裏などが残るが、これらは大火のあと徳川家...

写真提供:宝登山神社
宝登山神社 ( 埼玉県 長瀞町 )
今から1900年ほど前、日本武尊(やまとたけるのみこと)*が東征の帰途、山容の美しさに惹かれ山頂を目指すと山火事に遭遇し、神犬(山の神の使い)の助けを得て、無事に宝登山山頂に神霊を祀った事が、宝登山神社創建の始めと伝えられる。ご神徳は火防盗賊除、諸難除として高く、多くの参拝者で賑わう。 現在の社殿は1874(明治7)年に建...

写真提供:三峯神社
三峯神社 ( 埼玉県 秩父市 )
関東の山岳信仰の霊場として知られる。三峰の名称は、景行天皇が訪れた際、妙法ケ岳、白岩山、雲取山の美しく連なることから名づけられたという。 境内は広く、古木に囲まれて色鮮やかな1661(寛文元)年建立の本殿と、1800(寛政12)年建立の拝殿が並ぶ。拝殿前に続く石段の両脇に、樹齢約800年のご神木がそびえる。 創祀は日本武尊(...

写真提供:秩父神社
秩父神社 ( 埼玉県 秩父市 )
秩父市の中心に鎮座する。三峯神社・宝登山神社とともに秩父三社に数えられるこの社は、崇神天皇のころの創始といわれる古社で、明治維新前は秩父妙見宮と称されていた。広い境内に権現造*の本殿・幣殿・拝殿が鎮まり、左甚五郎作と伝えられる龍虎の彫刻をはじめ、社殿には華麗な彫刻が施されている。 日本三大曳山祭のひとつに数えられ...

写真提供:高麗神社
高麗神社 ( 埼玉県 日高市 )
JR川越線・八高線の高麗川駅から徒歩約20分。西武線高麗駅からは徒歩約40分。 高麗神社は、奈良時代に創建され、高句麗からの渡来人高麗王若光を主祭神としている。若光は高句麗からの使節として渡来した。朝廷から「王姓(こきしのかばね)」を賜っていることから高句麗の王族出身者と考えられている。716(霊亀2)年に高麗郡が置かれ、...

写真提供:子ノ権現天龍寺
子ノ権現天龍寺 ( 埼玉県 飯能市 )
子ノ権現といわれるのは、子の年子の月子の日子の刻に生まれ、911(延喜11)年にこの地に天龍寺を開山した「子ノ聖」を高弟の恵聖上人が祀って天龍寺の境内に権現社の社殿を建立したことに始まる。天龍寺を子ノ権現社の管理をする別当寺とした。 天龍寺の本尊は十一面観世音菩薩で、12年ごとの子の年には子ノ聖の尊像が開帳される。

写真提供:慈光寺
慈光寺 ( 埼玉県 ときがわ町 )
県内最古の寺で坂東三十三ケ所第9番札所。673(天武天皇2)年飛鳥時代に鑑真の弟子釈道忠によって開かれ、鎌倉時代は畠山重忠や源頼朝が篤く帰依したという。 都幾山麓から参道を登る途中の道端に8基の大型青石塔婆がある。さらに登ると古い伽藍が見えてくる。覆堂に入った開山塔、鐘楼などであるが、蔵王堂と釈迦堂は 1985(昭和 60)年...

誕生寺 ( 千葉県 鴨川市 )
日蓮聖人*の生まれた地であることを記念して建立された寺で、日蓮宗の大本山である。1276(建治2)年、日蓮の弟子日家上人が上総興津(かずさおきつ)城主佐久間兵庫守重偵(さくまひょうごのかみしげさだ)の助けを受け建立した。ところが、1498(明応7)年の地震の際に津波で流失し、鯛の浦(妙の浦)を望む地に再建されたが、1703(元禄1...

清澄寺 ( 千葉県 鴨川市 )
清澄寺は、清澄山(きよすみやま)の頂上近くに位置する。天津・小湊周辺には日蓮聖人*にゆかりの寺が多いが、その中でももっともゆかりの深い寺である。 771(宝亀2)年、不思議法師と呼ばれる僧がこの山を開いたといわれる。836(承和3)年、天台宗比叡山延暦寺の中興の祖・慈覚大師円仁師がこの地を訪れ修行したことから、天台宗の寺...

鋸山・日本寺 ( 千葉県 鋸南町 )
鋸山は、富津市と鋸南町の境にそびえ、清澄山地の西端にあたる。文字どおり鋸の歯のような険しい稜線で、昔から東京湾に入る船の目じるしとされていた。頂上から山裾は一気に海へ落ち込んでおり、かつて房州石を切り出した石切場跡が絶壁となって随所に残っている。頂上には、360度の展望が得られる「十州一覧台」(じゅっしゅういちらんだい...

写真提供:香取神宮
香取神宮 ( 千葉県 香取市 )
香取神宮は、佐原の町並みの東側、老杉生い茂る「香取神宮の森」と呼ばれる地に鎮座する。御祭神・経津主大神(ふつぬしのおおかみ)は、天孫降臨の折、鹿島神宮の御祭神・武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)と共に出雲へ赴き、大国主神(おおくにぬしのみこと)との国譲りの交渉を成功させた。それ故に、国家鎮護の神として奉祀されてい...

写真提供:市原市教育委員会
上総国分尼寺跡 ( 千葉県 市原市 )
市原市北部に位置する上総国分尼寺跡は、741(天平13)年の聖武天皇の詔によって全国に建てられた国分尼寺*の一つである。寺域は南北が372m、東西は北辺が285m、面積は約123,000m2に及び、全国の国分尼寺の中でも最大級の規模である。伽藍*は寺域の南西寄りにあり、南北200m、東西170mとなっている。 これまでの発掘調査によ...

写真提供:成田山新勝寺
成田山新勝寺 ( 千葉県 成田市 )
成田山新勝寺は、全国に8ケ所の別院のほか、60以上の分院・末寺・末教会・成田山教会を有する真言宗智山派の大本山である。境内、公園をあわせた面積は22万m2に及び、国指定重要文化財である仁王門、三重塔、光明堂、釈迦堂、額堂をはじめ、多くの堂宇や美術館、図書館などを有する。 大本堂の裏の丘陵地には、16万5,000m...

飯高寺 ( 千葉県 匝瑳市 )
飯高寺(飯高檀林跡)は、匝瑳市北部の舌状台地上に立地する。境内の面積は約68,000m2で、全体が千葉県の史跡に指定されている。 1580(天正8)年から1874(明治7)年までの294年間、日蓮宗僧侶の学問所である檀林(だんりん)*として存在し、多くの僧侶を輩出した。最盛期には、600~800人の学僧が集まったと言われている。...

笠森寺(笠森観音) ( 千葉県 長南町 )
町の北西端に位置する笠森寺は、坂東三十三観音霊場の第31番札所であり、「笠森観音」の名で親しまれている。開創は784(延暦3)年、最澄によると伝えられており、観音堂*は後一条天皇の勅願によって1028(長元元)年に建立されたといわれる。 山頂の巨岩の上に建てられた観音堂は、日本でただひとつの『四方懸造り』として、国の重要文...

写真提供:大山阿夫利神社
大山阿夫利神社 ( 神奈川県 伊勢原市 )
大山阿夫利神社は、約2,200年前の崇神天皇のころの創建と伝えられている。祭神は大山祗大神(おおやまつみのおおかみ)、高龗神(たかおかみのかみ)、大雷神(おおいかずちのかみ)で、延喜式内社に位置づけられている。755(天平勝宝7)年、東大寺別当良弁が堂塔・僧坊を建て、神仏混淆の時代が始まった。 源頼朝・足利氏・北条氏などの...

写真提供:(一社)横浜金沢観光協会
称名寺 ( 神奈川県 横浜市 )
北条実時(さねとき)*が金沢の別邸内に、称名念仏を行うための持仏堂を建てたのが寺の起こりと伝える。1267(文永4)年、下野薬師寺の審海(しんかい)を請じて開山とし、律院に改められた。寺は金沢北条氏の庇護のもと隆盛を極め、1323(元享3)年に描かれた『称名寺絵図並結界記』には、堂宇の建ち並ぶ姿が見られる。その後、鎌倉幕府が...

円覚寺 ( 神奈川県 鎌倉市 )
北鎌倉駅のすぐ東に接する臨済宗円覚寺派の大本山。鎌倉五山の第二位に列せられている。1282(弘安5)年8代執権北条時宗が元寇の戦いの双方の戦死者を弔うために宋の高僧無学祖元*を招いて開山とし、この地に禅院を開いたのが始まりで、寺名は寺の起工の際、地中から円覚経を収めた石櫃(せきひつ)が出現したことによるという。その後、数...

円覚寺舎利殿 ( 神奈川県 鎌倉市 )
円覚寺塔頭の正続院*の内にある。方3間、単層、入母屋造、裳階付き、柿葺。わが国に現存する唐様(禅宗様)建築*の最古のものといわれ、扇垂木・粽柱・花頭窓など、いたるところによくその特徴を伝えている。以前は創建当初の建築とみられていたが、現在では室町時代に太平寺*の仏殿を移したものと考えられている。内陣に源実朝が中国宋か...

写真提供:明月院
明月院 ( 神奈川県 鎌倉市 )
北鎌倉駅南東700mの明月谷の奥。数千株のアジサイの花が参道に並び咲くことからアジサイ寺とも呼ばれている。寺は、北条時頼が建てた最明寺跡に再興された禅興寺の塔頭で(禅興寺が明治初期に廃寺となり塔頭でなくなる)、室町時代初期、関東管領上杉憲方*によって開創された。 境内には1973(昭和48)年に再建された本堂、北条時頼廟、...

写真提供:建長寺
建長寺 ( 神奈川県 鎌倉市 )
臨済宗建長寺派の大本山で、鎌倉五山*の第一位に列する名刹。 1253(建長5)年5代執権北条時頼が宋の蘭渓道隆*を開山として創建した寺で、わが国最初の臨済禅専門道場となった。かつては七堂伽藍、塔頭49院を備えていたが、たびたびの火災で堂宇のことごとくを焼失、江戸時代になって将軍家の寄進を受けて、ようやく寺運は復興した。 ...

鶴岡八幡宮 ( 神奈川県 鎌倉市 )
鎌倉駅の北東、若宮大路の突きあたりにある。1063(康平6)年源頼義が奥州の前九年の役平定の後、京都の石清水八幡宮を由比郷鶴岡に現在の由比若宮を勧請し、その後1180(治承4)年鎌倉に本拠を置いた源頼朝は、大臣山のふもとに由比若宮を遷し、1191(建久2)年には大臣山の中腹に新たに御社殿を造営して源氏の守護神とした。これが現在の鶴...

瑞泉寺 ( 神奈川県 鎌倉市 )
二階堂の東端、紅葉ガ谷にある。1327(嘉暦2)年、鎌倉幕府の重臣二階堂道薀が夢窓国師*を開山として一宇を創建、瑞泉院と称したのが始まりで、のちに初代鎌倉公方足利基氏が中興して瑞泉寺と号し、以来、鎌倉公方足利氏4代の菩提所として、おおいに栄えた。境内に大正時代以降に再建された総門・山門・本堂・地蔵堂・開山堂・鐘楼・客殿な...

写真提供:長谷寺
長谷寺 ( 神奈川県 鎌倉市 )
由比ガ浜通りの西の突きあたりにある。参道を抜けて拝観口を通ると、回遊式庭園があり四季の花木が楽しめる。階段を登った観音山の山腹に観音堂・阿弥陀堂・観音ミュージアム・鐘楼などが並ぶ。 736(天平8)年、藤原房前が徳道上人を開山として創建した寺と伝え、本尊に長谷観音の名で有名な十一面観音立像を祭っている。ミュージアムに...

高徳院(鎌倉大仏殿) ( 神奈川県 鎌倉市 )
「美男におはす」(与謝野晶子の歌の一部)鎌倉の大仏として、あまりにも有名。 正式には大異山高徳院という寺の本尊である。寺の創建については明らかではなく、江戸中期の1712(正徳2)年、増上寺の祐天上人が中興して浄土宗とし、もと材木座光明寺の奥院であった。広々とした境内の奥、三方に回廊をめぐらした中央に露坐の大仏が鎮座し、...

杉本寺 ( 神奈川県 鎌倉市 )
鶴岡八幡宮から金沢八景へと通じる金沢街道沿いの山腹にある。杉本観音とも呼ばれ、坂東三十三観音の第1番札所である。寺は、734(天平6)年、行基の開創と伝える鎌倉最古の仏地。1191(建久2)年源頼朝が参詣して寺領を寄進、再興した。その後も頼朝・政子・実朝らがたびたび参詣している。 茅葺の仁王門をくぐり、100段を超える急な石段...

海蔵寺 ( 神奈川県 鎌倉市 )
鎌倉駅の北西1.2km、扇ガ谷と呼ばれる静かな住宅街の奥にある。1394(応永元)年、上杉氏定が鎌倉公方足利氏満の命を奉じて建立した。 盛時は塔頭10院を擁したと伝わるが、今は、小ぢんまりとした境内に、1776(安永5)年浄智寺から移した仏殿のほか、本堂・鐘楼・山門・庫裏を数えるのみである。本堂は、関東大震災後、1925(大正14)年...

銭洗弁財天(宇賀福神社) ( 神奈川県 鎌倉市 )
源氏山の西方、佐助ガ谷にある。三方を岩に囲まれた狭い境内に、社殿・社務所・茶店・奉納鳥居が並び、社殿脇の洞窟、奥宮に鎌倉五名水*の一つの銭洗水が湧き出ている。この清水で銭を洗うと倍になるという信仰で、広く人々に親しまれている。 社伝によれば、この霊水の発見は、1185(文治元)年、源頼朝の夢枕に現れた隠れ里の主、宇賀...

光明寺 ( 神奈川県 鎌倉市 )
材木座の海岸近くにある浄土宗の大本山。境内は広く、壮大な山門をくぐると、17間四面の大殿をはじめ、開山堂・大聖閣・書院・方丈・鐘楼などが軒をつらね、大寺の格式を誇っている。 寺の起源は、4代執権北条経時が佐助ガ谷に一宇を建て、蓮華寺と称したのが始まりとされており、1243(寛元元)年現在地に移して、寺号を改めた。その後も...

写真提供:寒川神社
寒川神社 ( 神奈川県 寒川町 )
相模國一之宮の寒川神社は、八方除の守護神として約1,600年の歴史を有し、古くは朝廷をはじめ、源頼朝、武田信玄、徳川家代々、さらには民間と幅広い信仰を受けてきた。 約1万5,000坪の広大な敷地の中に、御本殿、神門、神馬舎、手水舎、南門、納札殿、客殿、人形奉斎殿、三の鳥居などを有する。現在の御本殿、幣殿、拝殿、翼殿、回廊など...

写真提供:平間寺(川崎大師)
平間寺(川崎大師) ( 神奈川県 川崎市 )
平間寺は、正式には「金剛山金乗院平間寺」と称する真言宗智山派の大本山である。大治年間(1125~1130年)、平間兼乗という武士が、夢のお告げにより海中から弘法大師の木像を引き揚げた。ささやかな草庵をむすび、供養を怠らなかった兼乗が、高野山の尊賢上人と力を合わせ、一寺を建立したのが始まりと伝えられている。 川崎大師駅前か...

写真提供:箱根神社
箱根神社 ( 神奈川県 箱根町 )
奈良時代の757(天平宝字元)年箱根山に入峰修行中の万巻上人が、箱根大神の御神託により芦ノ湖畔の現在地に鎮斎された古大社。 鎌倉期、源頼朝は深く当社を信仰し、二所詣の風儀を生み、以来、執権・北条氏や戦国武将の徳川家康等、武家による崇敬の篤い社として、また修験の霊場として栄えた。 近世、箱根道の整備と共に庶民信仰の聖...

清浄光寺(遊行寺) ( 神奈川県 藤沢市 )
藤沢駅の北東約1kmにある。1276(建治2)年一遍上人によって開宗された時宗の総本山。時宗は遊行念仏宗ともいわれ、歴代の宗主が信仰の歓喜を踊念仏に表わし、全国を遊行教化したので、同寺の住職を代々遊行上人と呼び、寺名も一般に遊行寺というようになった。 当寺の開基は1325(正中2)年、遊行4代の呑海によるもので、以来、足利・徳...

写真提供:江島神社
江島神社 ( 神奈川県 藤沢市 )
江の島の裸弁天で知られる。江の島弁天は安芸の宮島、近江の竹生島とともに三弁天の一つに数えられて信仰を集め、特に、江戸時代は江戸町民や東海道の旅人など庶民の参詣で賑わった。 創起は552(欽明天皇13)年、今の御岩屋に海の守護神である3女神を祭ったと伝えられるが、1182(寿永元)年、源頼朝が文覚上人に命じて社殿を建立し、弁...

妙宣寺(阿仏房妙宣寺) ( 新潟県 佐渡市 )
佐渡に配流された順徳上皇*の供をしてきた北面の武士遠藤為盛(えんどうためもり)は、上皇崩御ののち、出家して阿仏房日得(にっとく)となった。その後、流されて塚原に謫居中の日蓮に、妻千日尼と共に帰依し、いろいろと尽した。その子盛綱が父母の志を継いで、その住居を寺としたのが始まり。 寺地はアカマツの林の中にあり、江戸末...

林泉寺 ( 新潟県 上越市 )
春日山城跡の北麓にある。1497(明応6)年に越後の守護代長尾能景*が、父重景の17回忌にあたり同家の菩提所として建立した名刹。現在の寺は春日山城主となった堀秀治が再興したもので、江戸時代になってからは、歴代高田藩主の保護を受けた。上杉謙信は能景の孫にあたり、幼少からこの寺で6代天室光育に学び、さらに7代益翁宗謙について禅の...
写真提供:彌彦神社
彌彦神社 ( 新潟県 弥彦村 )
弥彦山の東麓に鎮座している越後一ノ宮である。神武天皇の命を受けて野積浜に上陸し、人々に製塩や漁労・農業技術を教えたと言われる、「産業の神様」である天照大神の曽孫天香山命が祭神である。 弥彦山頂には、天香山命と妃神熟穂屋姫命(ひめがみうましほやひめのみこと)を祀った御神廟(奥宮)がある。彌彦神社は古くから「おやひこ...

西福寺 ( 新潟県 魚沼市 )
室町時代後期1534(天文3)年に開山芳室祖春大和尚によって開かれた。 本堂は唐様で、江戸時代の建立。江戸末期1857(安政4)年に当山の23世によって建てられた開山堂は本堂の左手にあり、雪を防ぐため覆い屋根がかけられているが、ケヤキづくり・茅葺きの堂々とした大屋根である。内部の三間四方の天井と欄間には、道元禅師が宗で猛虎に...

根本寺 ( 新潟県 佐渡市 )
国仲平野の中部、緑の森の中にある。1271(文永8)年佐渡に流された日蓮が配所した塚原*の三昧堂(さんまいどう)跡に建てられた寺で、日蓮宗十大聖跡の一つ。 参道は一周できるようになっていて、左手が行きで、戒壇塚、再建された三昧堂、二王門、二天門をくぐり鐘堂・経蔵・宝蔵・千仏堂がつづき、正面に祖師堂。右手に本堂がある。こ...

蓮華峰寺 ( 新潟県 佐渡市 )
蓮華峰寺の中心は金堂*であり、その西方に守り神である小比叡神社*があるという、寺院と神社が一体の区域の中に建てられており、神仏習合の面影を残している。 806(延暦25・大同元)年頃、空海が開いたと伝えられ、嵯峨天皇の勅願寺となったという由緒ある古寺。ここが京都の鬼門にあたるところから、比叡山にならって皇城鎮護のために...

雲洞庵 ( 新潟県 南魚沼市 )
717(霊亀3・養老元)年に藤原房前(ふささき)公により、母の菩薩を弔うため律宗に属する尼寺を建立、雲洞寺と称した。1429(正長2・永享元)年、関東菅領上杉憲実公により曹洞宗寺院、金城山雲洞護国禅庵として開創され、日本一の庵寺、越後一の寺といわれた。 金城山を背にし、境内はスギの巨木に囲まれた幽すいさの漂う中に、本堂*・...

写真提供:八海神社
八海神社 ( 新潟県 南魚沼市 )
当時の国司であった中臣鎌足が八海山に不思議な雲がかかっている様を見て、従者数十人を引き連れて登山し、御祭神を奉祭したと伝えられる。 水分神・農耕神を崇める思想から始まり、山麓にて自然石を祀り、御神木を神の依り処として御山そのものを遥拝する形から信仰が始まった。1794(寛政6)年、木曽御嶽山を開いた普寛行者が来越し、屏...

普光寺(浦佐毘沙門堂) ( 新潟県 南魚沼市 )
JR浦佐駅を出て、浦佐のまちなかを通る旧三国街道から、堂々たる山門が目につく。山門は日光の陽明門をかたどり、江戸時代、1820(文政3)年から12年の歳月と10万余の信者の奉仕によって建立された。天井には、江戸時代に谷文晁が描いた双竜がある。2階天井には、天女の舞姿絵が見られる。 寺伝によると、807(大同2)年、坂上田村麻呂が...
大岩山日石寺 ( 富山県 上市町 )
大岩山日石寺は富山地方鉄道上市駅から車で15分ほど南方(山側)に向かったところに位置する真言密宗大本山。寺院の縁起では、725(神亀2)年、遊行でこの地を訪れた行基*1が、凝灰岩の一枚岩に磨崖仏*2を彫ったことを開基とするといわれている。もとは高野山真言宗であった。室町時代には、21の末社・七堂伽藍・60の寺が建ち並び、千を超...
勝興寺 ( 富山県 高岡市 )
雲龍山勝興寺は、JR氷見線の伏木駅の西に立地する浄土真宗本願寺派の寺院である。1471(文明3)年、本願寺8世蓮如上人*が越中布教のため、現在の南砺市福光土山に開いた土山御坊が始まりと言われている。土山御坊は、蓮如の子孫が代々住職を務めるなど、本願寺と血縁関係のある寺院として強い勢力をもった。寺号の由来は1517(永正14)年、...
瑞龍寺 ( 富山県 高岡市 )
瑞龍寺は、あいの風とやま鉄道高岡駅の南、徒歩約10分。曹洞宗の寺院で、加賀2代藩主前田利長の跡を継いだ弟で3代藩主の利常が兄の菩提を弔うために建立したものである。隠居した利長は、当初富山城を隠居所としたが、火災により高岡に移り、この地で亡くなった。その後、利常は加賀藩御大工山上善右衛門嘉広に命じて七堂伽藍の大寺院を建立...
雄山神社(峰本社・祈願殿・前立社壇) ( 富山県 立山町 )
雄山神社は、701(大宝元)年の立山開山*1にはじまる立山信仰*2を今に伝える神社で、祭神は、伊邪那岐神(いざなぎ)・立山大権現雄山神(本地・阿弥陀如来)、天手力雄神・刀尾天神剱岳神(本地・不動明王)である。立山の主峰である雄山に峰本社(奥社)をもち、麓の芦峅寺(あしくらじ)の祈願殿、さらに下った岩峅寺(いわくらじ)にあ...

写真提供:井波別院瑞泉寺
井波別院瑞泉寺 ( 富山県 南砺市 )
井波別院瑞泉寺は、富山県南砺市(旧井波町)にある1390(明徳元)年、本願寺第5代の綽如(しゃくにょ)によって開かれた浄土真宗の真宗大谷派寺院である。明から送られてきた難解な国書を綽如が解読したことから、後小松天皇より才と功績を認め、一寺寄進を申し出られたと伝わる。その後は北陸の浄土真宗信仰の中心としての役割も果たすとと...

永平寺 ( 福井県 永平寺町 )
全国に1万5,000の末寺、檀信徒800万人をもつ曹洞宗の大本山で、開祖道元(どうげん)*が坐禅修行の場として志比谷最奥部のこの地を選んで以来、約770年にわたって法燈を伝えてきた古刹である。 1244(寛元2)年、京都深草に開庵していた道元が、志比庄地頭波多野義重の請に応じて越前に下り、開山したと伝える。当初は傘松峰大仏寺(さん...

紙祖神岡太神社・大瀧神社 ( 福井県 越前市 )
紙祖神岡太神社・大瀧神社は権現山の頂にある上宮(奥の院)とその麓に建つ下宮からなる。上宮は簡素ながら大瀧神社*と岡太神社、八照宮の三殿が並び建ち、下宮は両社の里宮となっている。 歴史の上では岡太神社が古く、今より1500年ほど前、この里に紙漉きの業を伝えた女神・川上御前を紙祖として祀り、「延喜式神名帳」(926(延長4年...

瀧谷寺 ( 福井県 坂井市 )
真言宗智山派の寺。えちぜん鉄道三国芦原線三国駅の北500mの丘陵上にあり、昼でもほの暗い杉木立ややぶツバキに囲れたゆるやかな笏谷石(しゃくだにいし)の石畳の参道を登りきると、山門(鐘楼)に至る。山門をくぐると、正面右手から観音堂、本堂、庫裏が並ぶ。観音堂正面には、前庭園石庭がある。国指定名勝の庭園*は本堂より書院ににわ...

平泉寺白山神社(白山平泉寺) ( 福井県 勝山市 )
勝山の東南約4kmの山腹、白山神社の境内の一帯はかつて中世に隆盛を誇った天台宗平泉寺のあったところである。寺跡周辺は源平時代に城として利用されたこともあり、「白山平泉寺城跡」として史跡に指定されている。 白山神社は養老年間(717~724年)、泰澄*の草創と伝えられ、平泉寺はその別当寺として修験僧多数を擁して繁栄し、室町前...

明通寺 ( 福井県 小浜市 )
北川の支流、松永川を8kmさかのぼった上流にある。橋を渡って参道を行くと山門があり、一直線に行ったところに本堂*、三重塔*が、杉木立に囲まれた境内に美しい姿を見せている。 この寺は、蝦夷大将軍坂上田村麻呂が蝦夷征代による多くの犠牲者を弔い平和を願い、806(大同元)年に建立したと伝えられる。中世以前の沿革は判然としてい...

若狭彦神社・若狭姫神社 ( 福井県 小浜市 )
JR東小浜駅からまっすぐ南、若狭姫神社(若狭国鎮守二宮、下社、下宮)が、さらに遠敷川沿い1.5kmほど上流に行ったところに若狭彦神社(若狭国鎮守一宮、上社、上宮)が鎮座する。創建は彦神社が715(霊亀元)年、姫神社が721(養老5)年と伝え、若狭最古の神社である。 祭神は彦神社が天津彦火火出見尊(あまつひこほほでみのみこと、山...

西福寺 ( 福井県 敦賀市 )
敦賀市内の西部、大原山(おおはらさん)西麓にある。浄土宗鎮西派。1368(応安元)年、後光厳天皇の勅願所として、良如上人*が開山した。浄土宗の中本山で、時の朝廷や室町幕府、戦国大名や領主の崇敬も篤く、禁制には松平家と関係深く、北国浄土宗の中心寺院として、「越の秀嶺」の別称の格式をもっていた。 樹木に囲まれた広い境内に...

羽賀寺 ( 福井県 小浜市 )
小高い山と北川に囲まれて広がるのが、中世荘園の一つであった国富荘である。羽賀寺はこの国富荘の裾に閑静にたたずんでいる。鳳凰が飛来し、羽をこの地に落としたことから鳳聚山羽賀寺と名付けられた。 716(霊亀2)年、奈良朝の女帝元正天皇が僧行基に命じて、羽賀寺を創建したと伝えられ、元正天皇の勅願所となった。947(天慶10・天暦...

恵林寺 ( 山梨県 甲州市 )
JR中央本線塩山駅の北西4kmにある。1330(元徳2)年に甲斐牧ノ庄(現・山梨市牧丘町等)の地頭職二階堂出羽守貞藤が自分の邸宅を禅院として夢窓国師*を招き開創した古刹であり、本堂裏には夢想国師作庭の庭園*が現存している。1564(永禄7)年に武田信玄*が快川国師*を招いて寺領を寄進し菩提寺とした。 信玄が病死してから3年を経た1...

写真提供:天目山栖雲寺
栖雲寺 ( 山梨県 甲州市 )
JR中央本線甲斐大和駅から東北へ約6km、景徳院*を経て日川渓谷*沿いにさかのぼった山中にある。1348(貞和4)年、「元」の天目山(中国・浙江省杭州市)で修行した業海本浄*によって創始されたため、山号は天目山。兵庫県の高源寺*を西天目というのに対し東天目とも呼ばれている。武田氏の菩提寺として庇護され、武田信満*の墓もある。...

大善寺 ( 山梨県 甲州市 )
JR中央本線勝沼ぶどう郷駅から南へ3kmほど、国道20号沿いのブドウ畑と日川を見渡せる山腹にある。創建については、諸説*あり不詳だが、代表的なものとしては、江戸後期編纂の「甲斐国志」によると「寺記曰、元正天皇養老二年(718年)八月、行基菩薩草創 号柏尾山 聖武天皇勅賜鎮護国家大善寺定額並御祈願所宣旨」とあり、また、「天文十...

雲峰寺 ( 山梨県 甲州市 )
JR中央本線塩山駅から北東へ約8km、大菩薩嶺の山ふところにある。「甲斐国志」によると、「寺記曰天正十七(745)年行基菩薩草創*本尊十一面観音行基手自彫刻焉」と伝えられ、また、甲斐源氏の府城の鬼門にあったところから、武田氏などからの崇敬を受けたという。当初、真言宗であったが、その後臨済宗に改宗している。 天文年間(1532...
放光寺 ( 山梨県 甲州市 )
JR中央本線塩山駅から北西に4.5km、恵林寺の北1kmほどにある。1184(元暦元)年、甲斐源氏の創始といわれる新羅三郎義光の孫安田義定*が平家追討のなか、戦勝を祝い、賀賢上人を開山とする天台宗の寺院として建立し、安田氏一門の菩提寺とした。その後真言宗に改宗、現在は真言宗智山派。義定は大日如来*、愛染明王*、不動明王*など多く...

写真提供:武田神社
武田神社(武田氏躑躅ヶ崎館跡) ( 山梨県 甲府市 )
JR中央本線甲府駅より北へ約2km、住宅街を抜けたところにある。1915(大正4)年、大正天皇即位に際し、武田信玄に対し従三位(じゅさんみ)が追贈されたことを契機に、武田神社創建の気運が沸き上がり、1917(大正6)年に武田信玄を祭神として、武田氏三代(信虎・信玄・勝頼)*の居館があった躑躅ヶ崎館跡*の一郭に武田神社が創建され、19...

写真提供:PIXTA
甲斐善光寺 ( 山梨県 甲府市 )
JR中央本線甲府駅から愛宕トンネルを通り、東へ約2.7km、JR身延線善光寺駅の北へ約900mほどのところにある。武田信玄*は、数次にわたる川中島の戦いのなか、1555(弘治元)年に信州善光寺が戦火に巻き込まれたため、本尊の秘仏 善光寺式阿弥陀三尊像をはじめ諸仏寺宝類を、一旦、信濃国禰津村(現・東御市)に持ち出し、1558(永禄元)年に...

写真提供:金櫻神社
金櫻神社 ( 山梨県 甲府市 )
甲府市街から北へ16kmほど、昇仙峡の仙娥滝滝上から北東へ2kmほどの山中にある。当社の始まりは、現在地より北20kmほどのところに聳える金峰山(標高2599m)の山頂にある山宮(五丈岩)*の里宮として、7世紀頃に蔵王権現を勧請し建立されたといわれている。金峰山の登山口は9ヵ所あり、金桜神社といわれる里宮*も数ヵ所あったとされ、当社...

身延山久遠寺 ( 山梨県 身延町 )
JR身延線身延駅より、北西に5kmほどの山間に入った、身延山*(1153m)の山ふところにある。久遠寺は日蓮宗*の総本山で、この地は日蓮門下の祖山とされ、「身延山」の名で篤い崇敬を寄せられており、全国から多くの信者や観光客が詣でる霊山である。 総門*から続く門前町の突き当たりにある三門をくぐると、大木の杉木立を両側に菩提梯...
七面山敬慎院 ( 山梨県 身延町 )
身延山の西方約6kmにそびえる七面山*(標高1982m)の山頂近く、標高1720mのところにある。もともとは山岳信仰の対象となっていたが、日蓮*の身延山入山とともに、法華経の霊山ともなり、末法の世に法華経を奉ずる者を守護するという七面大明神*を祭るようになった。ただ、日蓮自身の登拝はなく、高弟の日朗*によって1297(永仁5)年に開...

写真提供:北口本宮冨士浅間神社
北口本宮冨士浅間神社 ( 山梨県 富士吉田市 )
富士急行線富士山駅の南約2km、国道138号に面している。一般には略して冨士浅間神社と呼ばれている。110(景行天皇40)年にその起源をもつ*と伝えられる。江戸期に入ると、富士講*など富士山信仰の登拝による富士北口登山道の基点として、また、遥拝の場所として多くの信者を集めていた。 参道の両側には燈篭が並び、赤い大鳥居*をくぐ...

穗髙神社 ( 長野県 安曇野市 )
安曇族*の祖神を奉斉した神社で、本宮を安曇野市穂高に、奥宮を上高地の明神池の畔に、嶺宮を奥穂高岳頂上に祭っている。本宮は、深い杉林に囲まれて拝殿が立ち、その奥に3棟の本殿が横に立ち並ぶ。日本アルプスの総鎮守として、また交通安全の守神として信仰を集める。20年ごとに大遷宮、その間に2度の小遷宮が行われ、この折に催される遷...

写真提供:光前寺
光前寺 ( 長野県 駒ヶ根市 )
駒ケ根高原にある天台宗寺院。860(貞観2)年本聖上人の創建と伝えられ、武田、羽柴家などの信仰が厚く、信濃国有数の大寺であった。 境内には本堂・三重塔・三門などが杉林の中に建っており、樹齢数百年の巨木も多い。蘭渓道隆式池泉庭園や築山式枯山水、築山式池泉庭園と三つの庭園があり、ヒカリゴケも自生している。また三重塔近くに...

牛伏寺 ( 長野県 松本市 )
松本市の南東、鉢伏山(はちぶせやま)の中腹、標高1,000ⅿにある真言宗の名刹である。参道を登ると山門・庫裏・如意輪堂、さらに階段を登って楼門造の仁王門、観音堂・太子殿などが配置されている。厄除祈願の殿堂として広く知られ、1月の「厄除縁日大祭」では多くの参詣客が訪れる。 756(天平勝宝7)年に唐から信州善光寺に大般若経600...

安楽寺 ( 長野県 上田市 )
別所温泉の北西の山腹にある。温泉街から登りにはなるが歩いて10分程度のところにあり、静寂な中に建っている。 1288(弘安11・正応元)年執権北条貞時の援助を得て樵谷惟仙(しょうこくいせん)*が開山したという。鎌倉の建長寺などと並んで日本では最も古い臨済宗寺院の一つ。鎌倉時代中期すでに相当の規模をもった禅寺であり、学問・...

諏訪大社 ( 長野県 諏訪市 / 長野県 茅野市 / 長野県 下諏訪町 )
全国各地の諏訪神社の総本社であり、信濃国一之宮として崇敬される諏訪大社は、諏訪湖を隔てて南北に上社、下社が鎮座する。上社は諏訪市の本宮と茅野市の前宮、下社は下諏訪町の春宮と秋宮とに分かれ、この4社を合わせて諏訪大社となる独特の形式をもつ。 祭神は出雲系の神、建御名方神(たけみなかたのかみ)*と妻の八坂刀売神(やさか...

仁科神明宮 ( 長野県 大町市 )
大町市の南部、安曇沓掛駅の東にあり、日本最古の神明造神社。祭神は天照皇大神。中世初頭、この地域は伊勢の皇大神宮(内宮)に寄進され仁科御厨となった。この仁科御厨の鎮護の社として創建されたのが仁科神明宮で、創建の頃より仁科氏が神役として仕えていた。創建は康和年間(1099~1104年)ごろと推定される。 20年に一度の式年遷宮...
写真提供:(C)善光寺
善光寺 ( 長野県 長野市 )
長野市中心部、”善光寺”信号または二天門跡から約460mの石畳の参道が、仁王門*・山門*を経て本堂*へとつづく。境内は5万9,000m2と広く、参道に大勧進・大本願をはじめ39の宿坊が並ぶ大寺院である。「牛にひかれて善光寺参り」*で知られるように、一生に一度お参りすれば極楽往生が約束されると、全国から多くの老若男女を集める...

戸隠神社 ( 長野県 長野市 )
戸隠神社は霊山・戸隠山のふもとにある奥社・中社・宝光社・九頭龍社・火之御子社の五社の総称で、創建以来二千年余りに及ぶ歴史を刻む神社といわれている。天の岩戸伝説*の神話に縁深い神々、天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)・天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)などを祀る。 神社の創建は諸説あって明らかでな...

前山寺 ( 長野県 上田市 )
上田市街の南西約8km、独鈷山麓にある。空海が開き、鎌倉時代に讃岐国善通寺からの長秀上人が発展させたと伝えられる。この地を治めていた塩田北条氏*の祈祷所でもあった。 境内には大イチョウを前景に、室町初期の三重塔が立っており国の重要文化財となっている。また、藤をはじめ数々の花の名所としても知られている。
写真提供:(一社)岐阜県観光連盟
華厳寺 ( 岐阜県 揖斐川町 )
岐阜市の中心街から北西20kmほどの山中にある。西国三十三所*第33番、結願の霊場で、「谷汲(たにぐみ)山」と呼ばれ親しまれている。798(延暦17)年に創建された古刹。 寺伝によると、奥州(福島県)会津の大口大領が京都から故郷に観音像を持ち帰る途中、観音像が自ら歩き出し谷汲の地で動かなくなったことから、この地を結縁の地として...
写真提供:(一社)岐阜県観光連盟
横蔵寺 ( 岐阜県 揖斐川町 )
華厳寺の西方、西台山麓にある。最澄は、1本の霊木から2体の薬師如来を自ら刻み、1体を比叡山延暦寺(滋賀県大津市坂本)に祀り、もう1体の安置場所を求めて諸国を巡った。平安時代801(延暦20)年にその薬師如来*を本尊として横蔵寺を創建したと伝えられる。鎌倉時代には38坊、300余の末寺となり栄えた。室町時代には兵火や災害によって衰...
写真提供:(一社)岐阜県観光連盟
永保寺 ( 岐阜県 多治見市 )
JR中央本線・太多線多治見駅の北東、土岐川に面した虎渓山(こけいざん)*北麓の緑に囲まれた古刹。鎌倉時代1313(正和2)年、夢窓疎石(むそうそせき)*が元翁本元(げんおうほうげん)*を伴い諸国行脚の途中、中国江西省の廬山(ろざん)の渓谷・虎渓*に似ていると、この地の自然風景を愛でて庵を建てた。翌年に本元を開基として寺を開...
写真提供:(一社)岐阜県観光連盟(南宮大社寄贈)
南宮大社 ( 岐阜県 垂井町 )
JR東海道本線垂井駅から南へ約1.5km。南宮山の北東麓にあり、美濃国一の宮として、古くから広く崇敬されてきた。 社伝によれば、神武(じんむ)天皇が「東征」した折、八咫烏(やたがらす)を輔(たす)けて力を顕した金山彦大神(かなやまひこのおおかみ)が祭神として祀られ、後に崇神(すじん)天皇(紀元前97年~30年)の代に現在地に...

写真提供:安国寺
安国寺 ( 岐阜県 高山市 )
飛騨国府駅の北東3kmにある。足利尊氏・直義兄弟が、南北朝内乱における戦没者や後醍醐天皇の冥福を祈るため、国ごとに安国寺と利生塔を設置した。飛騨では南北朝時代の1347(貞和3)年に、この地に以前よりあった少林寺の寺号を安国寺と改め創建された。開山は瑞巌(ずいがん)和尚である。 創建当時の本堂は永禄年間(1558~1570年)に...

写真提供:(一社)岐阜県観光連盟
飛騨国分寺 ( 岐阜県 高山市 )
JR高山駅の北東300mに位置する。飛騨国の国府が高山に移った奈良時代(710~794年)に、聖武天皇の勅願により全国に建立された国分寺のひとつで、746(天平18)年に創建された古刹である。本堂に、本尊の薬師如来坐像、旧国分尼寺の本尊であった聖観世音菩薩像*を安置する。 室町時代(1333~1573年)中期に再建された本堂は、正面5間、側...
長滝白山神社 ( 岐阜県 郡上市 )
東海北陸自動車道の白鳥ICから約10分、長良川鉄道越美南線白山長滝駅から徒歩約1分の郡上市白鳥町長滝にある。 奈良時代717(養老元)年、越前の高僧泰澄(たいちょう)*の創建と伝わり、のち神仏習合によって白山中宮長滝寺と称された。平安時代832(天長9)年、白山に登拝する美濃禅定道(ぜんじょうどう)*の美濃馬場(みのばんば)...
富士山本宮浅間大社 ( 静岡県 富士宮市 )
JR身延線富士宮駅の北西500m、市街中心にある。古くから駿河一ノ宮として名高く、全国の浅間神社の総本宮である。富士の山霊を鎮めるために祀られたもので、社記によれば806(大同元)年に社殿*1が造営されたといわれている。富士山表口登山道の入口にあって、富士山信仰の隆盛とともに勢力を誇った。富士山山頂に奥宮*2が祀られている。 ...

大石寺 ( 静岡県 富士宮市 )
JR身延線富士宮駅の北約7km、国道139号から西に入ったところにある。富士五山*1の一つで、日蓮正宗の総本山である。日蓮の直弟子である日興*2が身延山を離れ、1290(正応3)年に創建した寺。富士門流の大石寺は、1900(明治33)年日蓮宗富士派として独立し、その後、改名して日蓮正宗となった。 古くからの信徒組織は法華講と呼ばれている...
奥山方広寺 ( 静岡県 浜松市 )
天竜浜名湖鉄道気賀駅より北へ約8km、臨済宗方広寺*1派の大本山。1371(応安4)年、当地を支配していた奥山六郎次郎朝藤が後醍醐天皇の皇子無文(むもん)禅師を招き、土地、建物を寄進し創建*2した。このため、同寺の開基は奥山六郎次郎朝藤とし、開山を無文禅師としている。本尊は木造釈迦如来及両脇侍坐像*3。同寺の鎮守である半僧坊大権...

秋葉山本宮秋葉神社 ( 静岡県 浜松市 )
浜松市の中心街から北へ約30km、南アルプスの南端、標高866mの秋葉山山頂に鎮座し、秋葉山を御神体として火之迦具土大神(ひのかぐづちのおおかみ 別称:火産霊神)を祀る。社伝によれば、秋葉の火の神の社として709(和銅2)年の創建*1と伝えられる。中世両部神道*2の影響を受け、秋葉大権現と称し、火防の神の総本宮として名高い。とくに...
龍潭寺 ( 静岡県 浜松市 )
天竜浜名湖鉄道金指駅から北西へ約2.5kmにある井伊家*1のゆかりの古刹。臨済宗妙心寺派。 寺伝には行基の開山と伝えられており、古くから地蔵寺と称し信仰の場となっていた。中世には井伊家の祖、井伊共保(1010~1093年)の法名にちなみ自浄院と号し井伊家の菩提寺になったという。また、江戸中期の「遠江国風土記伝」では、宗良親王*2の...

伊豆山神社 ( 静岡県 熱海市 )
JR東海道本線・東海道新幹線熱海駅の東北約1.5㎞、小高い山の中腹にあり、境内は歌枕にもなった伊豆の御山「こごい(古々比)の森」*¹の一部で約13万2千㎡の広さがある。本殿は、「伊豆山神社前」バス停近く逢初橋の北側から石段の参道を登った鬱蒼とした巨木のなか標高170mのところに建ち、前面には相模湾が広がる。本殿は度重なる火災など...
智満寺 ( 静岡県 島田市 )
JR東海道本線島田駅の北約10km、標高478mの千葉山中腹にあり、奈良時代末の創建*1といわれる古刹。宗派は天台宗。 鬱蒼とした杉木立に埋もれて、天正年間(1573~1593年)に徳川家康が再建造営した仁王門・中門・本堂・薬師堂などが点在している。なかでも1589(天正17)年に建立された本堂は、間口・奥行き5間、木割(原木から切り出した...
可睡斎 ( 静岡県 袋井市 )
JR東海道本線袋井駅の北約4kmにある曹洞宗の巨刹。輪蔵や山門が建つ本堂前広場を本堂、禅堂、書院などがコの字状に囲み、その東側に萬松閣、瑞龍閣などが並ぶ。広い境内には古松・老杉が茂る。ただ、江戸期から明治初期にかけ、たびたび火災などに遭い、現在の堂宇は明治以降に再建されたものである。 同寺は、1401(応永8)年に道元禅師7...

写真提供:法多山尊永寺
法多山尊永寺 ( 静岡県 袋井市 )
JR東海道本線袋井駅から東南に約5km。寺号の尊永寺というより山号の「法多山」*1の名で古くから知られている。本尊は厄除観音として広く信仰されている。境内は広く、1640(寛永17)年建立の仁王門*2をくぐると右側に杉並木がつづく長い参道があり、その参道を抜けた先にある約250段の階段を上がった場所に1983(昭和58)年落慶の本堂が建ち、...
油山寺 ( 静岡県 袋井市 )
JR東海道本線袋井駅から北へ約6km入った山あいにある。山門を入ると正面の石段の上に書院、方丈があり、参道を左にとると三重塔*1・薬師堂*2がある山腹に至る。山腹に向かう途中は切通しや渓流、「るりの滝」があり、苔むした石段と鬱蒼とした杉の林がつづく。油山寺の名は、かつて「るりの滝」で油が湧出し「油の滝」とも称され、同山が「あ...

久能山東照宮 ( 静岡県 静岡市 )
JR東海道本線・東海道新幹線静岡駅から南東へ約7.5km、有度山の南に位置する久能山の山頂(標高216m)に鎮座する。東照宮へは、久能山山麓からは16折、1,159段の急な石段*1を登るか、あるいは日本平からのロープウェイを利用する。社殿をはじめ楼門・鼓楼・神楽殿・神庫・玉垣・渡廊などの建築物は、山頂付近の傾斜を利用して巧みに配置され...

静岡浅間神社 ( 静岡県 静岡市 )
JR東海道本線・東海道新幹線静岡駅の北西に約2km、静岡の名のもとになった賎機山(しずはたやま 標高171m)を背にして鎮座する。約4.5万m2の境内に、神部(かんべ)神社・浅間(あさま)神社・大歳御祖(おおとしみおや)神社の3本社*1と、麓山(はやま)神社・八千戈(やちほこ)神社・少彦名(すくなひこな)神社・玉鉾(たま...

写真提供:臨済寺
臨済寺 ( 静岡県 静岡市 )
JR東海道本線・東海道新幹線静岡駅から北へ約3km、静岡浅間神社からは約1kmの賎機山(しずはたやま)東麓にある。臨済宗妙心寺派。山門につづく境内は築地塀・石段・踏み石が直線的に整然と配され、禅寺にふさわしい厳粛な雰囲気が漂う。1536(天文5)年に今川義元*1が兄氏輝の菩提寺として、妙心寺の住持などを歴任した大休宗休に請い、開闢...

写真提供:小國神社
小國神社 ( 静岡県 森町 )
天竜浜名湖鉄道遠江一宮駅から北へ4km、森町の西南部、宮川を遡った比較的開けた谷あいにある。『延喜式』にその名はあり、遠江国一宮である。創祀*1は不詳だが、1680(延宝8)年の社記によれば、555(欽明天皇16)年に、現在の本殿より6kmほど北にある本宮峯(本宮山)*2に神霊を奉斎し、後に勅命により現在地に社殿が造営されたとしている...

三嶋大社 ( 静岡県 三島市 )
JR東海道本線・新幹線三島駅の南東約1km、木立に囲まれた広い神域をもつ。延喜式にもその名があるものの詳しい縁起は不詳*1であるが、古くから伊豆一宮として広く崇敬を集めた。源頼朝も源氏再興を祈願したといい、頼朝腰掛け石がある。鎌倉期以後、「三嶋大明神」として崇敬された。 本殿・幣殿・拝殿は、1854(嘉永7)年の東海地震で被...

写真提供:了仙寺
了仙寺 ( 静岡県 下田市 )
伊豆急行線伊豆急下田駅から南へ約800mのところにある。開国を求め来航したアメリカのペリー提督との交渉により、1854(嘉永7)年3月に日米和親条約が横浜で締結された。 その後、下田の了仙寺で細則につき折衝がつづき、1854年6月、日米和親条約付録協定として下田条約13カ条が結ばれた。同寺はその後も同条約に基づいて玉泉寺とともに米...

玉泉寺 ( 静岡県 下田市 )
伊豆急行線伊豆急下田駅から東へ約2km、須崎半島の根元、下田港に面した海岸線から少し入った高台にある。玉泉寺は、1854(嘉永7)年の日米和親条約付録13ヶ条により米国黒船乗員の休息所・埋葬所に指定され、同年、日露和親条約の交渉の場ともなった。 1856(安政3)年には米国使節タウンゼント・ハリスが江戸幕府との折衝の末、通訳官ヒ...
修禅寺 ( 静岡県 伊豆市 )
伊豆箱根鉄道修善寺駅から西へ約2.7km、虎渓橋前の石段を上った奥に境内がある。平安時代初期の807(大同2)年に、弘法大師が修行した霊跡と伝わり、江戸中期に編纂された日本の高僧の伝記集「本朝高僧伝」では、弘法大師の弟子、杲隣*1が開山したとの記述もある。 鎌倉期の1275(建治元)年には、鎌倉から中国の高僧蘭渓道隆*2が入山し臨...

願成就院 ( 静岡県 伊豆の国市 )
伊豆箱根鉄道韮山駅から南に約1.5km、国道136号線沿いにある。1189(文治5)年、源頼朝の奥州進攻にあたり戦勝祈願のため北条時政*1が建立したと、鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』にも記載*2がある古刹。鎌倉時代初期の運慶*3作の阿弥陀如来坐像をはじめ、不動明王、毘沙門天などの仏像群*4が開創とともに奉納されたことが『吾妻鏡』に記されてお...

摩訶耶寺 ( 静岡県 浜松市 )
天竜浜名湖鉄道三ケ日駅の北約2kmにある。摩訶耶寺の前身*1は、古くは山岳信仰に結びついた真言密教の道場として、愛知県との県境近くの富幕山に開創された新達寺といわれ、平安時代に、現在地近くの千頭ヶ峯の観音岩と呼ばれる場所に移り、寺号を真萱寺と称していた。 平安時代末期に一条天皇の勅願により現在地へと移り、摩訶耶寺の号を...

写真提供:専修寺
専修寺 ( 三重県 津市 )
JR紀勢本線一身田駅から徒歩約5分。県都・津市の北郊に位置する専修寺(せんじゅじ)は、宗祖親鸞聖人により開山された真宗高田派の本山である。通称、高田本山と呼ばれており、寺院一帯は一身田寺内町(いっしんでん じないちょう)となっている。真宗高田派に属する寺院は、全国に600余寺あり、栃木県真岡市にある本寺専修寺(ほんじせんじ...
瀧原宮(内宮別宮) ( 三重県 大紀町 )
JR紀勢本線滝原駅の北東約1km、国道42号、伊勢から熊野に向かう熊野街道沿いにある。 伊勢神宮(内宮)の別宮は10社あるが、内宮域外の8社のうちの2つ瀧原宮と瀧原竝宮(たきはらのならびのみや)であり、同域内に並んで祀られている。 両宮とも祭神は天照大御神御魂で、古くから皇大神宮(内宮)の遙宮(とおのみや)と称され尊ばれて...
伊雑宮(内宮別宮) ( 三重県 志摩市 )
近鉄「上之郷」駅より徒歩3分。伊勢神宮(内宮)の別宮は10社あるが、内宮域外の8社のうちの1つであり、祭神は天照大御神御魂で、垂仁天皇の時代に倭姫命が志摩国を巡行の際、伊佐波登美命(いざわとみのみこと)に創建させたものと伝えられ、磯部九郷を神領とする大きな宮であった。奥伊勢にある瀧原宮とともに、古くから皇大神宮(内宮)の遙...

写真提供:多度大社
多度大社 ( 三重県 桑名市 )
養老鉄道「多度駅」から徒歩約20分。太古より神体山と仰がれてきた多度山の麓に鎮座する。 社殿の創建は、5世紀後半の雄略天皇の御代と伝えられる。落葉川に架かる橋を渡ると、左に本宮、右に別宮があり、本宮に天津彦根命(あまつひこねのみこと)、別宮にその御子神の天目一箇命(あめのまひとつのみこと)を祀る。天津彦根命は、伊勢神...
花窟神社 ( 三重県 熊野市 )
JR熊野市駅から新宮駅行きバスで約4分。花窟神社(花の窟神社)は、伊弉冊尊(いざなみのみこと)と軻遇突智尊(かぐつちのみこと)を祀る神社である。『日本書紀』巻一*に登場する、伊弉冊尊(いざなみのみこと)を葬った紀伊国熊野の有馬村とはこの花の窟だといわれる。今日に至るまで社殿はなく、熊野灘に面した高さ約45mの巨岩である磐...

伊勢神宮 ( 三重県 伊勢市 )
伊勢神宮は正式には「神宮」と称し、三重県伊勢市とその周辺に鎮座する125のお社の総称である。その中心は、皇室の祖先である天照大御神をおまつりする皇大神宮(内宮)と、天照大御神の食事をつかさどり、衣食住はじめ産業の守り神である豊受大御神をおまつりする豊受大神宮(外宮)である。二つの正宮には宮域内および宮域外に14の別宮、43...
豊受大神宮(外宮) ( 三重県 伊勢市 )
外宮(豊受大神宮)は、内宮・天照大御神の食事を司る神様(御饌都神)として、1500年ほど前の雄略天皇22年、伊勢の地に招かれた。すべての産業と衣食住の神様、豊受大神宮を祀る正宮を中心に約0.89km2の宮域が展開されている。 外宮とは、かつて離宮のことを「外」といったため、「天照大御神の離宮」を表す意味であり、正宮...
皇大神宮(内宮) ( 三重県 伊勢市 )
内宮(皇大神宮)は、皇室の祖と仰がれ、国民の大御祖神(おおみおやがみ)として崇敬を集める天照大御神(あまてらすおおみかみ)を祀っており、垂仁天皇26年に鎮座した。三種の神器の一つ八咫鏡は、御霊代として宮廷内に祭られていたが、崇神天皇のとき、宮廷内に祭るのは恐れ多いとされ豊鍬入媛命(とよすきいりひめのみこと)を御杖代(...
月読宮(内宮別宮) ( 三重県 伊勢市 )
内宮の宮域外にある8つの別宮のうちのひとつが月読宮である。月の神様、月読尊と月読尊荒御魂を祀っており、「つきよみさん」とも呼ばれている。 宮域には同じ内宮別宮の、月讀尊の御魂を祭神とする月讀荒御魂宮(つきよみあらみたまのみや)、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)を祭神とする伊佐奈岐宮(いざなぎのみや)、伊弉冉尊(いざなみ...
倭姫宮(内宮別宮) ( 三重県 伊勢市 )
10宮ある内宮別宮の一つであり、内宮と外宮のほぼ中間、倉田山の一角に祀られている。1923(大正12)年11月5日に創立された伊勢神宮の中で最も新しいお宮である。境内は40,000m2の広大な森に包まれており、瑞垣に囲まれた神明造の本殿がある。祭神は倭姫命(やまとひめのみこと)*である。 倭姫命は、諸国をめぐりながら天照...
金剛證寺 ( 三重県 伊勢市 )
朝熊山のほぼ山頂にあり、弘法大師空海ゆかりの古刹で、伊勢神宮の鬼門を守る寺として有名である。寺伝では6世紀後半、欽明時代、暁台上人によって創建されたという。825(天長2)年空海が登山し、堂塔を興して真言密教の根本道場としたが、1392(明徳3)年に東岳文昱(とうがくぶんりゅう)が真言宗から臨済宗へと改宗し、臨済宗南禅寺派の...
二見興玉神社 ( 三重県 伊勢市 )
JR二見浦駅より徒歩約15分。海辺より賓日館などがある旅館街、松並木を抜けた先が立石崎である。主祭神は猿田彦大神、相殿が宇迦乃御魂大神。眼前の夫婦岩の沖合700mには、二見浦*に入られた天照大神を猿田彦大神が出迎えたとさえる「興玉霊石」が鎮まっている。「興玉神石」を拝するための神聖な鳥居として夫婦岩に注連縄を張り遙拝所とし...

写真提供:椿大神社
椿大神社 ( 三重県 鈴鹿市 )
近鉄四日市駅またはJR四日市駅よりバスで約1時間。伊勢平野を見下ろす鈴鹿山系ノ中央に位置する入道ガ岳の山裾にある。2,000社に及ぶ猿田彦大神(さるたひこのおおみかみ)*を祀る神社の総本宮と言われ、式内社、伊勢国一ノ宮、現在は神社本庁の別表神社となっている。三重県内では伊勢神宮、二見興玉神社に次いで3番目に参拝者数の多い神社...

月夜見宮(外宮別宮) ( 三重県 伊勢市 )
外宮から神路通り(かみじどおり)を北へ約300m、4つの外宮別宮では唯一宮域外にある月夜見宮。天照大御神の弟神、月夜見尊(つきよみのみこと)と月夜見尊荒御魂(つきよみのみことのあらみたま)を祀っている。 内宮別宮の月読宮の祭神と同じであるが、月読宮は月読尊と荒御魂をそれぞれ別の社殿に祀っているが、月夜見宮は、月夜見尊と...

写真提供:猿田彦神社
猿田彦神社 ( 三重県 伊勢市 )
JR・近鉄「伊勢市駅」から三重交通バスに乗り「猿田彦神社前」下車。祭神の猿田彦大神は、ものごとの最初に出現し、万事最も良い方へ“おみちびき”になる大神で、古事記・日本書紀などに「国初のみぎり天孫をこの国土に御啓行(みちひらき)になられた」と伝えられている。 天孫降臨を啓行(みちひらき)した猿田彦大神は、高千穂に瓊瓊杵...

苗村神社 ( 滋賀県 竜王町 )
名神高速道路竜王インターチェンジから東へ4.4kmほど、雪野山と鏡山の間に広がる平野部の綾戸集落の北、大きな鎮守の森にある。近郷33カ村の総社として崇められ、現在でも竜王地方の氏神として信仰が篤い。 茅葺の楼門(国重要文化財)を挟み東西両社からなる。西本殿(国宝)は、鎌倉時代1308(徳治3)年造営の三間社流造*(さんげんし...

写真提供:兵主大社
兵主大社 ( 滋賀県 野洲市 )
JR東海道本線野洲駅北口から琵琶湖方面へ、野洲市のほぼ中央にある。3世紀後半頃、景行天皇の世に滋賀穴太(あのう)へ遷された奈良の穴師坐兵主(あなしにいますひようず)神社を、欽明朝(539~571年)にさらに当地へ移し、718(養老2)年、社殿を創建したという。 もともと「兵主」の神は中国の八神信仰に由来し、渡来人が崇拝し各地に...

御上神社 ( 滋賀県 野洲市 )
延喜式内社で社格は旧官幣中社である。ご祭神は天之御影命であり、紀元前285(孝霊天皇6)年6月18日に三上山に天降ったといわれ、718(養老2)年3月15日に藤原不比等(ふじわらのふひと)が勅命によって現在地に社殿を造営したと伝えられている。金工鍛冶の神として崇敬され、また武神としても源頼朝をはじめ、武家の尊崇を集めた。 神社...
大笹原神社 ( 滋賀県 野洲市 )
JR東海道本線野洲駅から東に向かい、国道8号線に出合ったら、北上し、大篠原交差点を右折するとすぐにある。鏡山の北西麓に鎮座する。薬師如来の化身といわれ、神社南西方の岩蔵寺*の薬師は、大笹原神社とは一体の神社である。 廃仏毀釈が出る前までは、「天王さん」として親しまれ、除疫神としてまつられた。明治になり、境内社の篠原神...

福田寺 ( 滋賀県 米原市 )
JR北陸本線田村駅から徒歩約10分の長沢地区にあり、大きな甍(いらか)が目立つ。長沢御坊(ながさわごぼう)の名で親しまれている。 寺伝によると、飛鳥時代の684(白鳳12)年に地元豪族の息長(おきなが)氏の菩提寺として建立された。後に近江で最初に浄土真宗寺院となり、戦国時代は一向一揆の拠点の一つとして、浅井長政と共に織田信...

石馬寺 ( 滋賀県 東近江市 )
繖山(きぬがさやま)東側の明神山の山裾にある。 594(推古2)年に聖徳太子がこの山麓に馬をつなぎ、山上に霊地を探して下山すると馬が石と化して池に沈んでいた*というところから石馬寺の寺号がつけられたと伝える。織田信長の兵火を受けて一時衰微したが、松島瑞巌寺(ずいがんじ)の雲居(うんご)国師の手で再興された。 楓が覆...
永源寺 ( 滋賀県 東近江市 )
湖東の山間で愛知(えち)川の北岸に、1361(康安元)年に佐々木六角氏頼(ささきろつかくうじより)が寂室元光(じゃくしつげんこう)*を迎えて開山した。後にたびたび兵火により荒廃したが、寛永年間(1624~44)に後水尾天皇の勅により、彦根藩の援助を受けて復興した。 石段の参道を登ると、右手に愛知川、左手の石崖には十六羅漢の...

阿賀神社 ( 滋賀県 東近江市 )
箕作山(みつくりやま)の南に岩肌を見せてそびえ立つ赤神山(あかがみやま)(標高350m)の中腹にあり、地元では太郎坊宮(たろうぼうぐう)の名で知られる。 社伝によれば、7世紀前期に赤神山に霊威を感じた聖徳太子が神祀りをしたことに始まり、799(延暦18)年には最澄が50余の社殿を山中に建立したという。源義経が参詣したという伝...

渡岸寺観音堂(向源寺) ( 滋賀県 長浜市 )
JR北陸本線高月駅の北にある古刹。寺の歴史は古く、奈良時代にまでさかのぼる。736(天平8)年、奈良の都で疱瘡が流行り死者が相次いだため、聖武天皇は僧の泰澄に除災を命じた。泰澄は十一面観音像を彫り、一宇を建て、息災延命、万民豊楽を祈祷したと伝えられる。 以来、病除けの霊験あらたかな観音として信仰され、801(延暦20)年には...
宝厳寺 ( 滋賀県 長浜市 )
琵琶湖に浮かぶ竹生島(ちくぶしま)(周囲2km、面積0.4km2 )にある。 寺伝によれば724(神亀元)年、聖武天皇の勅願で僧行基が堂塔を開基させたのが始まりで、弁才天像(大弁才天)を本尊として本堂に安置。753(天平勝宝5)年、近江国浅井郡大領が観音堂に千手千眼観世音菩薩像を安置したとある。豊臣秀吉との関係も強く、...

都久夫須麻神社 ( 滋賀県 長浜市 )
琵琶湖に浮かぶ竹生島(ちくぶしま)(周囲2km、面積0.4km2)にある。 社伝によると、459(第21代雄略天皇3)年に浅井比売命(あざいひめのみこと)(弁財天)を祀った祠(ほこら)を建てたのが始まりと伝えられる。724(神亀元)年、市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)(大弁才天)を祀った「宝厳寺(ほうごんじ)」が創...
比叡山延暦寺 ( 滋賀県 大津市 / 京都府 京都市 )
大津市と京都市に属する境界に位置する。両市から様々な交通手段を利用して、延暦寺まで容易に達することができる。比叡山には、延暦寺という名称の個別の寺院はない。延暦寺には133の堂宇が存在するが、その位置によって大きく、東塔、西塔、横川(よかわ)の3つの地域に分けられ、3地域を総合して延暦寺と呼ぶ。寺域も区切るのがむずかしい...
三井寺(園城寺) ( 滋賀県 大津市 )
京阪電鉄三井寺駅から徒歩7分、三井寺とも園城寺とも呼ばれる天台寺門宗の総本山である。 園城寺という呼び名は、672年の壬申の乱で敗れた大友皇子(おおとものみこ)*の子、大友与多(おおとものよた)王が、父の霊を弔うために、「田園城邑」を寄進して寺を創建し、この文字にちなみ、天武天皇から「園城」という勅額が贈られたことが...
日吉大社 ( 滋賀県 大津市 )
比叡山の東麓、八王子山(牛尾山)の山裾に鎮まる当大社は、紀元前91(崇神天皇7)年に創祀された全国3800余りの分霊社(日吉、日枝、山王神社)の総本宮である。古くは山王七社*といわれたように、国宝の東本宮*・西本宮*など建築美を誇る多くの社殿が、大宮川の渓流が流れる森に立つ。境内には約3000本のモミジがあり、とりわけ秋は、壮...
浮御堂(満月寺) ( 滋賀県 大津市 )
大津市北部、堅田にある。湖中にのびた橋の先に宝形造の仏堂が立っている、これが浮御堂である。臨済宗大徳寺派の寺院で、寺名を海門山満月寺という。 源信(恵心僧都)*が長徳年間(995~999)、湖上安全と衆生済度のため一堂を建て、1000体の阿弥陀仏を安置して千本仏堂と名付けたのに始まると伝わる。その後長らく荒廃していたが、江...

写真提供:西教寺
西教寺 ( 滋賀県 大津市 )
京阪石山坂本線坂本比叡山口駅の北西約1.5km、比叡山の東麓に広大な寺地を占める天台真盛(しんせい)宗の総本山。 聖徳太子が恩師である高麗僧の恵慈*、恵聡のために創建したと伝えられている。良源(慈恵大師)*が天台の念仏道場とし、源信(恵心僧都)*も入寺し、次第に栄えるようになった。1486(文明18)年、真盛(しんせい)*が...
石山寺 ( 滋賀県 大津市 )
京阪電鉄石山寺駅から約1km、瀬田唐橋から南へ約2km、伽藍山(がらんやま)を背に瀬田川に臨む佳景の地に立つ。天平時代からの豊かな歴史に支えられ、古来石山詣と称して人々に親しまれた。文学にも再々登場し、加えて貴重な文化財も多く保存する。西国三十三所第13番霊場で、今も多くの人が訪れる湖南屈指の名刹。境内には石山寺硅灰石が露...
近江神宮 ( 滋賀県 大津市 )
京阪電鉄石山坂本線近江神宮前から徒歩7分。天智天皇6年(667年)、同天皇が都を飛鳥から近江大津宮へ遷された由緒に因み、天智天皇を祭神に、1940(昭和15)年、皇紀2600年を記念して大津市街の北方、宇佐山(うさやま)の山腹に創建された。官幣大社に列せられる。 朱塗の楼門をくぐると、樹林に包まれた白木造の外拝殿が現れ、背後に回...
建部大社 ( 滋賀県 大津市 )
瀬田の唐橋から150mほど進むと、瀬田橋本商店街に入る。この道は旧東海道で、橋本は橋畔集落である。唐橋から建部大社までの道は、味わいのある歴史街道である。 日本書紀によれば、戦功のあった日本武尊(やまとたけるのみこと)を祀るため、神崎郡建部郷(現、東近江市)にあったものを、675(天武天皇白鳳4)年に勅命により近江国衙(...
滋賀院門跡 ( 滋賀県 大津市 )
京阪電鉄坂本比叡山口から国道47号線を西に向かい、生源寺の前を左に折れると、老舗のそば屋鶴喜がある。隣には鶴屋益光、少し先に廣栄堂寿延の和菓子の店があり、ともに延暦寺や日吉大社など各寺院の御用達になっている。この道を進むと、すぐに右手に滋賀院の門がある。現在は延暦寺の本坊があるが、江戸時代末まで天台座主(ざす)の法親...

多賀大社 ( 滋賀県 多賀町 )
近江鉄道多賀大社前駅の前に大鳥居が立ち、神社まで徒歩10分の参道には土産物店が並ぶ。お多賀さんの愛称で知られ、かつて「お伊勢参らばお多賀へ参れ、お伊勢お多賀の子でござる」と里謡にも謡われ、伊勢神宮の祭神である天照大神(あまてらすおおみかみ)の両親、伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)伊邪那美大神(いざなみのおおかみ)を...

写真提供:西明寺
西明寺 ( 滋賀県 甲良町 )
琵琶湖の東、鈴鹿山脈の麓に位置する天台宗寺院で、湖東三山の一つ。 2015年にアメリカのニュース専門局CNNのWeb特集において『日本の最も美しい場所31選』(現在は36選)に選ばれた関西有数の観光名所。名神高速道路湖東三山スマートI.Cから約5分である。 平安時代の初期にあたる834(承和元)年に仁明(にんみょう)天皇の勅願により...
油日神社 ( 滋賀県 甲賀市 )
JR草津線油日駅から東へ歩き、ご神体となる油日岳(694m)の北西麓に鎮座する。 山頂に奥宮があり、水の神である岳大明神「罔象女命(みつはのめのかみ)」が祀られている。当社はその里宮にあたり、油の火の神を祀っている。 開創年代は明らかではないが、『日本三代実録』*に「元慶元年(877年)……近江国正六位上油日神社に従五位下...
大池寺 ( 滋賀県 甲賀市 )
近江鉄道水口駅北西、丘陵地に囲まれた閑静な地にある。長い刈込み垣に挾まれた参道を行くと、山門と白壁の塀が目を引く。天平年間(729~749)、行基菩薩が開創という古寺で、1321(元享元)年東福寺の僧無才智翁禅師によって禅宗に改宗された。1577(天正5)年、戦火にあい境内全域が焼失したが、1667(寛文7)年、瑞鳳寺(仙台市)の丈巌...
櫟野寺 ( 滋賀県 甲賀市 )
JR草津線油日駅の北東、油日神社の北にあり、「いちいの観音さん」の名で親しまれている。792(延暦11)年、最澄が比叡山根本中堂の用材を求めてこの地を訪れたとき、櫟(いちい)の木に十一面観音を彫刻し、これを本尊にして開いたのが始まりという。これ以後、この地方の中心的天台寺院として栄え、今なお藤原時代(894~1185)の仏像を多数...

常楽寺 ( 滋賀県 湖南市 )
JR草津線石部駅の南方約4km、阿星山の北麓にある。湖南三山の一つ。広い境内にどっしりとした本堂*と三重塔*がおちついた雰囲気で立つ。 和銅年間(708~715)に元明天皇の勅命により、良弁*が開基した「阿星寺五千坊」の中心寺院として建立され、紫香楽宮(742~745)の鬼門鎮護として栄えた。平安~鎌倉時代には、皇室の帰依を受けて...
善水寺 ( 滋賀県 湖南市 )
JR草津線甲西駅と三雲駅のちょうど真ん中から北東方向に位置する岩根山(標高405m)の中腹にあり、湖南三山の一つ。曲がりくねった山道を登りつめたところに、堂々とした本堂*が立つ。 和銅年間(708~715)に国家鎮護の法相宗道場として創建されたといわれ、和銅寺と号した。そののち最澄が比叡山を開創し、堂舎建立のため用材を甲賀の...
長寿寺 ( 滋賀県 湖南市 )
JR草津線石部駅から車で10分、常楽寺の南東1.5km、阿星山北東麓にある。常楽寺の西寺に対して東寺と呼ばれる古刹。山門から本堂まではモミジの並木道がつづき、参道の右手に鎌倉時代の石造多宝塔があり、さらに進むと樹林を背にして本堂*が立つ。むかしは大伽藍があったと伝えられる境内も、今は森閑としている。 天平年間(729~749)に...

長命寺 ( 滋賀県 近江八幡市 )
琵琶湖に臨む長命寺山(標高333m)の8合目(250m)に建てられ、西国三十三所観音霊場*の第31番札所で、健康長寿を祈願する多くの参拝者で賑わう。 寺伝によれば、3世紀後半から4世紀初頭の第12代景行(けいこう)天皇の時代に、大臣の武内宿禰(たけのうちのすくね)が、この山で柳の巨木に「寿命長遠所願成就(じゅみょうちょうおんしょ...

日牟禮八幡宮 ( 滋賀県 近江八幡市 )
JR近江八幡駅の北西で、標高272mの八幡山(はちまんやま)の南麓にあり、「八幡さま」として広く親しまれ、近江商人からの信仰も篤く、近江八幡の地名の由来にもなっている。 社伝によれば、131年に第13代成務天皇が即位の折に創建され、991(正暦2)年には八幡山に社を建て、九州の宇佐八幡宮を勧請して上の八幡宮を祀った。1005(寛弘2...

観音正寺 ( 滋賀県 近江八幡市 )
琵琶湖の東、標高433mの繖山(きぬがさやま)の山腹にあり、西国三十三所観音霊場*の第32番札所で、万事吉祥の縁結びの祈願道場として多くの参拝者で賑わう。 寺の縁起によれば、近江を遍歴していた聖徳太子が、琵琶湖から現れた人魚に苦しみから救ってほしいと懇願され、太子自ら千手観音像を刻み、飛鳥時代605(推古天皇13)年、山頂に...
百済寺 ( 滋賀県 東近江市 )
琵琶湖の東、鈴鹿山脈の麓に位置し、名神高速道路湖東三山スマートI.Cから約10分である。西明寺(さいみょうじ)・金剛輪寺(こんごうりんじ)と並んで湖東三山の一つに数えられ、最も南にある。 寺伝では、606(推古天皇14)年に聖徳太子の勅願により創建されたという古刹。仏教が朝鮮半島の百済(くだら)国経由で伝来したことから山号...
金剛輪寺 ( 滋賀県 愛荘町 )
名神高速道路湖東三山スマートI.Cより約1分。西明寺(さいみょうじ)・百済寺(ひゃくさいじ)と並ぶ湖東三山の一つ。 寺伝では、741(天平13)年、聖武天皇の命で行基が建立、848~851年(嘉祥年間)に円仁(慈覚大師)が天台の道場として中興した。織田信長の兵火の被害は少なく、湖東三山の中では寺宝がもっとも多く残っている。総門の...
田村神社 ( 滋賀県 甲賀市 )
鉄道はJR草津線油日駅が最寄り駅になるが、土山中学校を目指して北東へ8kmほど歩くことになるため、貴生川駅南口のバスターミナルより市内バスを利用するのが良い。国道1号線のすぐ北、野洲川の支流田村川沿いにある閑静な森の中に鎮座する古社。 開創年代は明らかではないが、812(弘仁3)年の建立と言われる。鈴鹿の鬼退治をした坂上田...

写真提供:清水寺
清水寺 ( 京都府 京都市東山区 )
京都駅の東北に位置し、比較的運行本数の多いバス路線にある五条坂ないしは清水道のバス停で下車(京都駅からバスで約15分)。バス停から清水寺までは坂道を徒歩約10分。道筋*には、土産物店、茶店などが立ち並び楽しい。往時より数は減ったとはいえ、清水焼*の店も目に付く。 清水寺は清水山(音羽山)の中腹にあり、13万m2...

鹿苑寺(金閣寺) ( 京都府 京都市北区 )
正式名称は鹿苑寺だが一般に金閣寺の名で知られる。京都駅から北へバスで約50分。衣笠山の東、背後に大文字山があり、自然を巧みに取り入れた境内の西に、寺の通称の由来ともなった金閣がさん然と鏡湖池(きょうこち)に姿を映している。金閣が再建とはいえ、そのみごとに一体化した建築美と庭園美が室町時代北山文化*の面影を伝えている。...

写真提供:平等院
平等院 ( 京都府 宇治市 )
JR奈良線宇治駅から徒歩10分。宇治川の左岸に位置する。朝日山を望む境内には鳳凰堂の名で知られる阿弥陀堂のほかに、鐘楼*・観音堂*・ミュージアム鳳翔館*などが立つ。1053(天喜元)年、藤原頼通*が建立した「鳳凰堂」の中央部にある「中堂」内には、平安期の名仏師・定朝*作の阿弥陀如来坐像*が安置される。堂内壁面には雲に乗って音楽...

写真提供:パーソナル企画
東寺(教王護国寺) ( 京都府 京都市南区 )
京都駅の西南にあり、境内の東は大宮通、南は九条通に面して築地塀に囲まれている。最寄り駅は近鉄東寺駅で、九条通を西へ徒歩10分。京都駅八条口からも徒歩15分とアクセスがよく、バスの便もよい。 平安京が開かれたときに、羅城門の左右(東西)に置かれた官寺(国立寺院)の一つで、境内は創建当初の伽藍配置のままといわれ、西寺が廃...

写真提供:東本願寺
東本願寺 ( 京都府 京都市下京区 )
京都駅から北へ徒歩約6分、七条通まで上がると、北西側一帯に広大な伽藍が目に入る。正式名称を「真宗本廟」という真宗大谷派の本山である。西本願寺の東に位置し、一般に東本願寺とよばれ、地元では「お東さん」と親しまれる。親鸞聖人の死後、その末娘の覚信尼が1272(文永9)年に東山の大谷に廟堂を建てたことが本願寺の起源。1602(慶長7...

写真提供:パーソナル企画
西本願寺 ( 京都府 京都市下京区 )
通称を西本願寺、正式名称を龍谷山本願寺という、浄土真宗本願寺派*の本山である。親しみを込めて「お西さん」とも呼ばれる。堀川通と七条通の交差点の北西側に位置する寺地は広大で、東西約330m、南北約290mにおよぶ。桃山文化を代表する建造物や庭園を今に伝え、世界遺産にも登録されている。 1272(文永9)年、親鸞聖人の末娘の覚信...

三十三間堂(蓮華王院) ( 京都府 京都市東山区 )
京都駅から市バスで約10分、博物館三十三間堂前下車すぐ。東山地区の入口にあり、七条通を挟んで京都国立博物館と向かい合っている。本堂内陣の柱間が33あるので「三十三間堂」と呼ばれるが、正式名称は「蓮華王院」。本堂内に千体観音がずらりと立ち並ぶ光景は圧巻である。 1164(長寛2)年、後白河法皇の院御所の法住寺殿の一角に、法皇...

写真提供:PIXTA
南禅寺 ( 京都府 京都市左京区 )
東山地区の北部にあり、南禅寺橋から東にのびる松並木の道が南禅寺の参道で、やがて中門に至る。東山山麓に位置する南禅寺は、京都五山*の最高位の寺格にあたる「五山之上」に列せられた大寺で、臨済宗南禅寺派の大本山である。この地には亀山天皇が1264(文永元)年に造営した離宮があったが、のちに天皇は大明国師に帰依して法皇となり、1...

写真提供:東福寺
東福寺 ( 京都府 京都市東山区 )
東山区の最南部、伏見区に接するところにあり、京都駅からJR奈良線で東福寺駅下車。京阪本線東福寺駅もJR駅と並んでいる。駅から東福寺北大門まで徒歩約10分である。約16万5,000m2の寺域が広がる、臨済宗東福寺派の大本山。京都五山*の4位であり、三門・浴室・本堂・東司・禅堂・方丈などの堂宇が禅宗の伽藍様式どおりに並んでい...

鞍馬寺 ( 京都府 京都市左京区 )
京都市街の北方、深い緑におおわれた標高584mの鞍馬山南東斜面にあり、牛若丸の修行の場として、また、大天狗僧正坊の住む地として知られる寺である。叡山電車の終点鞍馬駅で下車すると、大きな天狗の面が出迎える。駅から鞍馬寺仁王門*まで徒歩5分。門から左手に進むと「鞍馬の火祭」*で名高い由岐(ゆき)神社*、九十九(つづら)折り...

慈照寺(銀閣寺) ( 京都府 京都市左京区 )
年間通して多くの観光客でにぎわう「哲学の道」の北端、銀閣寺橋を東に入ったところにある臨済宗相国寺派の寺。正しくは慈照寺といい、観音殿(銀閣)*のあることから一般に銀閣寺といわれる。北山文化を象徴する金閣寺に対し、室町時代後期の東山文化*を象徴する代表的寺院である。銀閣というものの銀箔貼りではなく、当初、上層の内外壁...

平安神宮 ( 京都府 京都市左京区 )
岡崎公園*を南北に貫く神宮道は、平安神宮の参道にあたる。冷泉通から正門の神門*(応天門)をくぐると、広い前庭の向うに大極殿*の優美な姿が望まれる。平安神宮は、1895(明治28)年、平安遷都1100年を記念して創建され、桓武天皇を祀り、市民の総社としたものである。1940(昭和15)年10月には、孝明天皇の神霊も合祀している。 社...

写真提供:一般社団法人西芳会
西芳寺(苔寺) ( 京都府 京都市西京区 )
阪急嵐山線上桂駅から徒歩20分、京都駅から京都バス苔寺・すず虫寺行きに乗れば終点下車、徒歩3分、西芳寺川の畔に西芳寺は立つ。庭一面絨毯を敷きつめたような苔の美しさから一般に苔寺として名高い。創建については諸説ある。1400(応永7)年に記された『西芳寺縁起』では、創立は聖徳太子の別荘にさかのぼる。『夢窓国師年譜』では、天平...

写真提供:龍安寺
龍安寺 ( 京都府 京都市右京区 )
京福電鉄北野線龍安寺駅徒歩7分にある。1450(宝徳2)年、細川勝元が徳大寺家の別荘であったこの地を譲り受け、妙心寺の義天玄承に帰依して禅刹を建立した。当時威容を誇ったが、応仁の乱やその後の火災で焼失し、現在の姿になった。龍安寺駅から北上し総門をくぐり、道路を横断してなお進むと山門が立つ。山門を抜けると左手に鏡容池*が広...

圓通寺 ( 京都府 京都市左京区 )
叡山電鉄京都精華大前駅から徒歩25分、地下鉄北山駅からは徒歩30分。閑寂な地に佇む臨済宗妙心寺派の寺院。境内には本堂・客殿・庫裏などが建ち、比叡山を借景にした庭園*で知られる。ここは後水尾上皇*が造営した幡枝(はたえだ)離宮だったところで、1672(寛文12)年上皇の離宮、修学院の完成とともに近衛家に下賜された。1678(延宝6)...

写真提供:酬恩庵(一休寺)
酬恩庵(一休寺) ( 京都府 京田辺市 )
JR京田辺駅から東へ約1.3km。元の名は妙勝寺で、鎌倉時代、臨済宗の高僧大應国師が中国の虚堂和尚に禅を学び、帰朝後の1267(文永4)年、禅の道場をここに建てたのが始まりである。その後、元弘の戦火にかかり復興もならず荒廃していたものを、一休禅師*が、1456(康正2)年、宗祖の遺風を慕って堂宇を再興し、師恩にむくいる意味で「酬恩庵...

写真提供:天龍寺
天龍寺 ( 京都府 京都市右京区 )
世界文化遺産。嵐電嵐山本線嵐山駅を下車すると正面すぐ北側に参道入口が見える。京都五山*の第1位という格式を誇った臨済宗天龍寺派の大本山である。度重なる火災で伽藍の大半は明治以降の再建だが、亀山を背景に法堂・大方丈・多宝殿が、また総門から法堂に至る参道の両脇に塔頭が整然と並ぶ。法堂の天井いっぱいに描かれた雲龍図*は、加...

写真提供:醍醐寺
醍醐寺 ( 京都府 京都市伏見区 )
世界文化遺産。地下鉄東西線醍醐駅から東へ徒歩約10分で醍醐寺の総門に至る。山科盆地の南東に位置する醍醐山とその麓付近を醍醐と呼び、伽藍は山上の上(かみ)醍醐と山麓の下(しも)醍醐に分かれる。真言宗醍醐寺派の総本山。本尊は薬師如来。山上山下に80余棟の堂塔伽藍が甍を連ね、江戸時代以来の修験道当山派本拠地としての森厳な雰囲...

妙心寺 ( 京都府 京都市右京区 )
JR山陰線(嵯峨野線)花園駅から南総門まで徒歩5分、嵐電北野線妙心寺駅から北総門まで徒歩4分。臨済宗妙心寺派の大本山である。妙心寺派は臨済宗最大の宗派で、国内外に約3,400の関係寺院を擁する。境内は広く、南北約600m、東西約500m、総面積は約33万m2。その中心に堂々たる七堂伽藍を構え、周囲に46もの塔頭寺院が立ち並んで...

八坂神社 ( 京都府 京都市東山区 )
京阪本線祇園四条駅から徒歩約5分。四条通の東の突き当たり、祇園の花街と円山(まるやま)公園にはさまれた東山の中心にあり、「祇園さん」の名で親しまれている。祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)・櫛稲田姫命・八柱御子神。社伝では656(斉明天皇2)年、高句麗系渡来人伊利之の創祀、または876(貞観18)年の南都の僧・円如の創祀という...

写真提供:パーソナル企画
浄瑠璃寺 ( 京都府 木津川市 )
奈良市街の北東、京都府木津川市の当尾(とうの)の丘陵にあり、JR加茂駅からバスで約20分。 寺名は薬師如来の東方浄土、浄瑠璃世界からきている。寺伝では1047(永承2)年、義明(ぎみょう)上人によって建立された西小田原寺が前身。1107(嘉祥2)年、浄土信仰の隆盛とともに本堂(阿弥陀堂)が、1150(久安6)年に浄土式庭園が造られ寺...

写真提供:高台寺
高台寺 ( 京都府 京都市東山区 )
豊臣秀吉の正室、北政所ねねこと、高台院が秀吉の菩提を祈るために曹洞宗の弓箴を開基に迎え、1606(慶長11)年に建立した禅宗寺院(曹洞宗)。造営に際し、取りまとめ役の寺院への口添えをするなど徳川家康が積極的に援助したと伝わる。高台院の意向により伏見城の遺構や秀吉と高台院の所縁のものが堂宇には使用され、壮麗な寺院であった。...

写真提供:黄檗山萬福寺
萬福寺 ( 京都府 宇治市 )
JR奈良線・京阪宇治線黄檗駅から徒歩5分。宇治の北方にある。中国明の僧、隠元隆琦(いんげんりゅうき)*が開創した黄檗(おうばく)宗*の大本山。1654(承応3)年63歳で福建省から来朝した隠元が、1661(寛文元)年に中国の黄檗山萬福寺にならって建立。隠元のあと13代まで明僧の住持が続き、14世竜統が日本人で初めて住持となった萬福寺...

写真提供:知恩院
知恩院 ( 京都府 京都市東山区 )
正式名称は、華頂山知恩教院大谷寺という、浄土宗の総本山。東山三十六峰の一つ・華頂山の麓に広がる大寺院である。法然上人が草庵を結び人々に念仏の教えを説き、1212(建暦2)年に生涯を閉じた地に建つ。日本最大級の木造門である三門*をくぐり、石組の階段を登り切ると、法然上人の御影を祀る堂々たる大建築の御影堂*がどっしりと構えて...

写真提供:智積院
智積院 ( 京都府 京都市東山区 )
京阪七条駅から徒歩10分、七条通の東の突き当たり、東山の阿弥陀ヶ峰の麓にある。真言宗智山派の総本山の大寺院。智山派は大本山として成田山新勝寺・川崎大師平間寺・高尾山薬王院、別格本山として高幡山金剛寺・大須観音宝生院があり、末寺は全国に3,000余を擁する。 智積院はもと紀州根来寺(ねごろじ)の塔頭だった。真言教学を学ぶ学...

伏見稲荷大社 ( 京都府 京都市伏見区 )
京都駅からJR奈良線で5分、稲荷駅を降りると目の前には壮観な大鳥居。全国に約3万社ある稲荷神社の総本宮である伏見稲荷大社は、古くから五穀豊穣・商売繁昌の神として崇敬を集め、参拝者は絶えることがない。大鳥居をくぐると、稲荷山*を背にして楼門・外拝殿・本殿*・権殿*など、朱塗りの壮麗な社殿が並び、また境内には多くの摂末社が...

青蓮院門跡 ( 京都府 京都市東山区 )
地下鉄東西線東山駅から徒歩5分。駅を出て三条通を東へ行き、神宮道の交差点を南に進むと、大きなクスノキが見えてくる。皇室とのゆかりが深い雅な名刹・青蓮院門跡の目印である。寺は、天台宗総本山比叡山延暦寺の三門跡の一つとして古くから知られ、現在は天台宗の京都五箇室門跡の一つに数えられている。最澄が比叡山延暦寺を創建した際に...

石清水八幡宮 ( 京都府 八幡市 )
京阪電車石清水八幡宮駅から表参道を歩いて登って約30分。同駅前から参道ケーブルカーを利用すれば八幡宮山上駅下車、徒歩5分。木津川・宇治川・桂川の合流点の南、対岸には天王山がそびえる要害の地、男山山頂に立つ。祭神は応神天皇・比咩(ひめ)大神・神功皇后。859(貞観元)年、奈良大安寺の行教律師の奏請で大分の宇佐八幡宮から勧請...

詩仙堂丈山寺 ( 京都府 京都市左京区 )
叡山電鉄叡山本線一乗寺駅から徒歩15分。江戸時代初期の文人・石川丈山*が1641(寛永18)年に造営し、31年間隠棲した山荘跡。現在は詩仙堂丈山寺という曹洞宗の寺院となっている。詩仙堂は、正しくは凹凸窠(おうとつか)という。斜面のでこぼこの地に建てられた住居という意味で、丈山は凹凸窠と名づけた。詩仙堂とよばれるのは、堂内の中...

建仁寺 ( 京都府 京都市東山区 )
祇園の繁華街の南。花街宮川町にも隣接する、臨済宗建仁寺派の大本山。1202(建仁2)年、源頼家の帰依を受けた栄西*が、中国(宋)の百丈山(ひゃくじょうざん)にならって建立した寺で、寺名は創建時の年号からつけられた。当初は、天台・密教・禅の三宗兼学の道場だったが、第十一世蘭渓道隆のときから、臨済宗の寺院となり、足利義満が京...

写真提供:旧嵯峨御所 大本山大覚寺
旧嵯峨御所 大本山大覚寺 ( 京都府 京都市右京区 )
JR山陰本線(嵯峨野線)嵯峨嵐山駅から徒歩15分。大沢池を東に望む北嵯峨の景勝地に立つ。真言宗大覚寺派の本山で、代々天皇もしくは皇統の方が門跡(住職)を務めた門跡寺院。般若心経写経の根本道場・いけばな嵯峨御流の総司所*でもある。 嵯峨天皇の離宮であった嵯峨院を、876(貞観18)年に天皇の皇女で淳和天皇皇后の正子内親王が、...

泉涌寺 ( 京都府 京都市東山区 )
JR東福寺駅、京阪電鉄東福寺駅から徒歩20分。月輪山(つきのわやま)の麓にあり、皇室の菩提寺として御寺(みてら)とも呼ばれ、尊崇されている。草創の時期や事情は明らかでないが、空海が、天長年間(824~834)にここに草庵を立てて法輪寺としたのが寺の起こりともいわれる。1218(建保6)年に俊芿(しゅんじょう)律師(月輪〈がちりん〉...

永観堂(禅林寺) ( 京都府 京都市左京区 )
地下鉄東西線蹴上駅下車、徒歩15分。市バス南禅寺・永観堂道下車、徒歩3分。正式には禅林寺というが永観堂の名で親しまれている。広い境内には、山を負うように諸堂が並び、方丈(釈迦堂)・勅使門(唐門)・鐘楼・御廟・中門・多宝塔・阿弥陀堂(本堂)*など多くの建物は、臥龍廊*とよばれる回廊で結ばれている。 寺は、平安時代初期の...

写真提供:パーソナル企画
光悦寺 ( 京都府 京都市北区 )
市バス鷹峯源光庵前で下車し、三差路を約150m西へ入った南側に光悦寺がある。1615(元和元)年、本阿弥光悦*は徳川家康から拝領した鷹ケ峯の地に、一族縁者や工芸職人、豪商とともに移り住み、光悦を中心とする、いわば芸術村を営んだ。光悦の死後、幕府に返還されたが、すこしでもその足跡を残すためにと寺院を建てた。それが光悦寺である...

写真提供:三千院
三千院 ( 京都府 京都市左京区 )
京都バス大原下車、徒歩10分。鯖街道(若狭街道。国道367号線)の東、大原の里の一角にある。左右に呂川(りょせん)・律川(りつせん)の清流が流れ、周囲には堂々とした石垣を巡らしている。三千院は、最澄が比叡山に根本中堂を創建した際、東塔の南谷に一宇を建てたのが起こりである。860(貞観2)年、承雲が堂塔を整備し、比叡山麓の東坂...

曼殊院 ( 京都府 京都市左京区 )
市バス一乗寺清水町から徒歩20分。延暦年間(728~806)、最澄が比叡山上に建てた小堂を草創とする。のちに比叡山の西塔北谷に移され、東尾坊と称した。947(天暦元)年、北野神社(現北野天満宮)が造営されると、当時の住持、是算国師は菅原氏の出であったので勅命により別当職に補せられ、以後歴代、明治の初めまで、これを兼務した。 ...

仁和寺 ( 京都府 京都市右京区 )
世界文化遺産。嵐電北野線御室(おむろ)仁和寺駅から徒歩3分で仁和寺二王門に着く。宇多天皇陵のある大内山陵を背景に、南に双ヶ岡を控えた景勝地を占め、深い緑に包まれる真言宗御室派の総本山である。886(仁和2)年に光孝天皇の勅願で着工、宇多天皇即位後の888(仁和4)年に完成、年号から仁和寺と号する。のちに宇多天皇が落髪後入寺し...

写真提供:賀茂別雷神社(上賀茂神社)
賀茂別雷神社(上賀茂神社) ( 京都府 京都市北区 )
世界文化遺産。地下鉄烏丸線北山駅から徒歩15分、市バスは上賀茂神社前からすぐ、または上賀茂御薗(みその)橋から徒歩5分。賀茂川に架かる御薗橋の東に鎮座し、下鴨神社とともに賀茂社と呼ばれ、京都でもっとも古い神社の一つ。御祭神は賀茂別雷大神(わけいかづちのおおかみ)。雷神を祀るところから、厄除けの信仰を集めている。山城国の...

北野天満宮 ( 京都府 京都市上京区 )
嵐電北野白梅町駅から一の鳥居まで徒歩7分、市バス北野天満宮からは徒歩2分。平安時代前期の学者であり、政治家であった菅原道真を祀る。道真は35歳で文章博士に任じられた後、右大臣にまで昇ったものの、左大臣藤原時平の讒言により、大宰権帥に左遷され、903(延喜3)年に大宰府で死去。その後、時平や皇太子の病死、天変地異の続発、さら...

写真提供:あだし野念仏寺
あだし野念仏寺 ( 京都府 京都市右京区 )
JR山陰本線(嵯峨野線)嵯峨嵐山駅から徒歩約30分。小倉山の麓のこのあたりはかつて化野*(あだしの)と呼ばれ、東の鳥辺野、北の蓮台野と並ぶ平安京の葬送の地であった。寺伝によれば、約1,200年前に弘法大師が、この地に葬られた多数の死者を弔うために五智山如来寺を創建し、のち法然上人が念仏道場に改め、念仏寺と称するようになったと...

高山寺 ( 京都府 京都市右京区 )
京都市の北西郊、愛宕山の東麓に位置する高雄(高尾)・槇尾・栂尾(とがのお)は「三尾(さんび)」と総称され、古来、紅葉の名勝として知られてきた。高山寺はその三尾の最も北、栂尾にある世界遺産の古刹である。京都駅からだとJRバスで約1時間、栂ノ尾下車、徒歩5分。 774(宝亀5)年、光仁天皇の勅願で開創。1206(建永元)年、明恵...

広隆寺 ( 京都府 京都市右京区 )
嵐電嵐山本線太秦(うずまさ)広隆寺駅の目の前に、「太秦廣隆寺」と深く彫った石碑と大きな楼門がそびえる。国宝指定第1号の弥勒菩薩半跏思惟像をはじめとする京都でも有数の多くの古仏を伝える寺。京都の人には「太秦のお太子さん」として親しまれている。 603(推古天皇11)年、秦氏*の長、秦河勝(はたのかわかつ)が聖徳太子から与...

写真提供:神護寺
神護寺 ( 京都府 京都市右京区 )
京都駅からJRバスで約1時間、高雄下車、徒歩20分。三尾*の一つ、高雄山の山腹にある真言宗の古刹である。紅葉の名所としても名高い。 東寺や高野山金剛峰寺とともに真言密教の寺院として古い歴史をもつ。781(天応9)年、和気清麻呂*が、河内国に神願寺を、同時期に当地に高雄山寺を建立。清麻呂没後、息子の弘世・真綱・仲世らが最澄・...

写真提供:賀茂御祖神社(下鴨神社)
賀茂御祖神社(下鴨神社) ( 京都府 京都市左京区 )
世界文化遺産。京阪鴨東線と叡山電鉄の出町柳駅から高野川を渡って北へ徒歩10分。上賀茂神社が祀る賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)の母神である玉依媛命(たまよりひめのみこと)と祖父神の賀茂建角身命(たけつぬみのみこと)を祭神とし、社伝では神武天皇の御代に比叡山西麓の御現山(みあれやま)に降臨し、崇神天皇の代に神社の...

本法寺 ( 京都府 京都市上京区 )
地下鉄烏丸線鞍馬口下車、徒歩約15分。表千家・裏千家の家元邸に向かい合う閑静な地にある。1436(永享8)年、日親上人*が東洞院綾小路の地に創建(開創時期や場所は諸説あり)。その後、法難や火災などで移転、再建を重ね、1587(天正15)年、豊臣秀吉の命により現在地へ移転した。その際、伽藍の整備に尽力したのが、芸術家・文化人として...

法金剛院 ( 京都府 京都市右京区 )
JR山陰本線(嵯峨野線)花園駅下車、徒歩約3分。平安時代に貴族の別荘や寺院が営まれた双ヶ丘の山麓にある。830(天長7)年頃、右大臣清原夏野がこの地に山荘を築いた。清原の死後、山荘を寺に改め、双丘寺と号したのが始まり。庭園に珍花奇花を植え、嵯峨・淳和・仁明天皇の行幸を仰いだ。なかでも仁明天皇は寺の背後の内山に登られ、その景...

松尾大社 ( 京都府 京都市西京区 )
阪急嵐山線松尾大社駅を出るとすぐ目の前に松尾大社の大鳥居がある。標高223mの松尾山の山裾にある古社で、約40万m2の広大な境内に、赤鳥居・楼門・拝殿・本殿*等が整然と並ぶ。祭神は、山と水を司る大山咋神(おおやまぐいのかみ)*と、水の神の市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)*。山水に生活を左右された古代の人々が水...

相国寺 ( 京都府 京都市上京区 )
地下鉄今出川駅から徒歩約10分、同志社大学の北側に広大な寺域を構える、臨済宗相国寺派の大本山。正式名称は萬年山相國承天禅寺。室町に花の御所を造営した足利義満が、その隣接地に約10年の歳月を費やして1392(明徳3)年に完成した。 「相国」とは唐名で大臣を意味し、当時、左大臣だった義満にちなんだもの。義満は禅の師春屋妙葩(しゅ...

宇治上神社 ( 京都府 宇治市 )
京阪宇治駅から宇治川沿いに歩いて約10分。菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)*、応神天皇、仁徳天皇を祀る古社で、世界文化遺産に登録されている。もとは隣接する宇治神社と一体の神社であった。大吉山の山裾に位置する静かな境内は、菟道稚郎子と仁徳天皇の伝説を語るにふさわしいところである。平安時代後期に建立された本殿は現存日本最...

くろ谷 金戒光明寺 ( 京都府 京都市左京区 )
市バス岡崎道から徒歩10分、または東天王町から徒歩15分、黒谷町の小高い岡の上にあり、「くろ谷さん」と親しまれる浄土宗の大本山。山内には、山門*・阿弥陀堂・御影堂(大殿)*・大方丈・三重塔(文殊塔)*などのほか、18カ寺の塔頭寺院が立ち並ぶ。1175(承安5)年、法然上人が比叡山の黒谷を下り、この地に草庵を結び、浄土宗最初の念...

善峯寺 ( 京都府 京都市西京区 )
西国三十三所観音霊場の第20番札所。徳川5代将軍綱吉の生母・桂昌院*ゆかりの寺としても知られる。京都西山の釈迦岳の中腹にあり、JR京都線向日町駅から車で約20分。縁起によれば、1029(長元2)年、恵心僧都源信の高弟・源算が創建。1034(長元7)年には後一条天皇より鎮護国家の勅願所と定められ、「良峯寺」の寺号を賜った。1042(長久3...

霊鑑寺 ( 京都府 京都市左京区 )
市バス「真如堂前」「錦林車庫前」下車、徒歩約7分。「哲学の道」のほぼ中央を東に入ったところにある。1654(承応3)年、御水尾天皇の皇女・多利宮を開基として創建。1890(明治23)年まで皇女が代々住持を務めた格式の高い尼門跡寺院である。「谷の御所」、「鹿ヶ谷比丘尼御所」とも呼ばれた。もとは、後陽成天皇の典侍・持明院基子の屋敷...

写真提供:PIXTA
愛宕神社 ( 京都府 京都市右京区 )
京都市の北西、山城と丹波の国境にある愛宕山(標高924m)の山頂に鎮座。二の鳥居が立つ山麓の清滝から約4kmの表参道を登ってたどり着く。全国に約900社ある愛宕神社の総本宮で、京都の人には「あたごさん」と親しまれる。祭神の伊邪那美命の子・迦倶槌命(カグツチノミコト)は火の神であることから、古来、火伏せ・防火の神*として信仰さ...

写真提供:城南宮
城南宮 ( 京都府 京都市伏見区 )
近鉄・地下鉄竹田駅から徒歩15分、竹田駅から市バスで行けば城南宮東口下車すぐ。名神高速京都南ICの南のこんもりとした城南の森にある。社伝によれば平安遷都に際し、都と国土の守護を願い、都の南に創建されたと伝わる。国常立尊(くにのとこたちのみこと)を八千矛神(やちほこのかみ)と息長帯日売尊(おきながたらしひめのみこと)に合...

豊国神社 ( 京都府 京都市東山区 )
市バス博物館三十三間堂前から徒歩5分。豊臣秀吉を祀る神社である。秀吉は1598(慶長3)年に亡くなり、東山・阿弥陀ヶ峯の頂に葬られた。その翌年、山の中腹に豊国神社が創建された。社殿は壮麗を極めたが、1615(慶長20)年の大坂夏の陣で豊臣氏が滅ぶと、徳川家康の命で廃絶。明治時代になって天皇の命で再興が決まり、1880(明治13)年、...

光明寺 ( 京都府 長岡京市 )
JR長岡京駅よりバス約15分、阪急長岡天神駅よりバス約10分。西山浄土宗の総本山の寺院である。法然上人が初めて念仏の教えを説いた地であることから「浄土門根元地」といわれ、境内に上人の廟所がある。近年は紅葉の名所としても広く知られる。 法然の弟子で「平家物語」で有名な熊谷直実(蓮生)*が1198(建久9)年、法然ゆかりの当地に...

等持院 ( 京都府 京都市北区 )
京福電鉄北野線等持院・立命館大学衣笠キャンパス前駅から北へ400m、立命館大学衣笠キャンパスの南にある。足利氏の菩提寺として十刹*の第一に挙げられた名刹である。お椀を伏せたような衣笠山を正面に見る境内の奥に土塀をめぐらし、方丈*・庫裏・書院・霊光殿*が禅寺らしいたたずまいをみせている。庭園・茶室*も、本院の魅力を引き上...

真正極楽寺(真如堂) ( 京都府 京都市左京区 )
市バス錦林車庫前または真如堂前から徒歩8分。かつての本堂の呼び名であった「真如堂」の通称で知られるが、正しくは鈴声山(れいしょうざん)真正極楽寺という。 寺伝によれば、984(永観2)年、比叡山の戒算上人が、延暦寺常行堂に安置されていた慈覚大師円仁作の阿弥陀如来像を移したのが始まり。のちに一条天皇が本堂を建て、勅願寺と...

写真提供:聖護院
聖護院 ( 京都府 京都市左京区 )
地下鉄東西線東山駅から徒歩15分、京阪鴨東線神宮丸太町駅から徒歩10分。市バス熊野神社前からは徒歩5分。平安神宮の北方にある本山修験宗の総本山。応仁・文明の乱などの火災でたびたび移転し、1676(延宝4)年に現在地に再建された。本尊は不動明王。平安時代後期、1090(寛治4)年白河上皇が熊野三山に参詣の折、増誉(ぞうよ)大僧正が先...

御香宮神社 ( 京都府 京都市伏見区 )
京阪本線伏見桃山駅から徒歩3分、または近鉄京都線桃山御陵前駅から徒歩2分。神功皇后を主祭神とし、仲哀天皇、応神天皇ほか6柱の神をまつる。神社の創建は古く、「延喜式」の式内社の御諸(みもろ)神社に当てる説もある。名前の由来*は平安時代の862(貞観4)年に境内からよい香りの清泉が湧き出し、これを飲んだ病人の病が癒えたことから...

藤森神社 ( 京都府 京都市伏見区 )
京阪本線墨染駅から神社正面である南門まで徒歩7分、JR奈良線藤森駅からは徒歩5分。深草から東福寺付近にかけての産土神で、素盞嗚尊、神功皇后、舎人親王など、12柱を祀る。社伝によると神功皇后が新羅出兵の凱旋後、この地に旗と兵具を埋め神祀りをしたのが起こりとされている。その後、伏見稲荷大社の社地*にあったと伝え、稲荷社の創立...

写真提供:パーソナル企画
隨心院 ( 京都府 京都市山科区 )
地下鉄東西線小野駅から徒歩5分。醍醐寺の北にあり、奈良街道の東側に面している。このあたりは小野と呼ばれ、昔は小野氏の領地であったことから、隨心院は小野小町*の住居跡に立つともいわれている。 雨乞のたびに雨を降らしたので”雨僧正”とも呼ばれた真言宗小野流の祖・仁海(にんがい)が、991(正暦2)年に開いた牛皮山曼荼羅寺に始...

写真提供:廬山寺
廬山寺 ( 京都府 京都市上京区 )
京都御苑のすぐ東にあり、寺町通に門を開く。「源氏物語」の作者・紫式部の邸宅跡に立ち、正式には廬山天台講寺という。1583(天慶元)年、元三大師良源*が船岡山の南に創建。天正年間(1573~1593)、豊臣秀吉の都市改造により現在地の寺町通に移った。皇室とのゆかりが深く、現在の本堂と尊牌殿は、1794(寛政6)年に光格天皇の勅命で仙洞...

写真提供:平野神社
平野神社 ( 京都府 京都市北区 )
市バス「衣笠校前」から北へ徒歩2分。西大路通の東側に朱塗りの大鳥居が立つ。794(延暦13)年、桓武天皇が平安遷都に際して、平城京の「田村後宮」に祀られていた今木皇大神、久度大神、古開大神、比賣大神の4神を当地に遷して創建された。朝廷の崇敬が篤く、のちに源氏・平氏の氏神として武門の信仰も集めた。 現在の社殿は寛永年間(16...

写真提供:今宮神社
今宮神社 ( 京都府 京都市北区 )
平安建都以前より、疫神を祀る社があったといわれる今宮神社は、地下鉄烏丸線北大路駅の西約1.6kmにあり、徒歩20分、または同駅より京都市バスで船岡山下車、徒歩7分で到達する。本社の祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)・事代主命(ことしろぬしのみこと)・奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)、境内にある摂社・疫神社の祭神は素盞嗚...

常寂光寺 ( 京都府 京都市右京区 )
JR嵯峨嵐山駅から徒歩20分、「百人一首」で知られる小倉山の中腹にある日蓮宗の寺。1596(文禄5)年、日蓮宗大本山本圀寺16世の日禛(にっしん)上人が開いた。その前年、豊臣秀吉が建立した方広寺大仏殿の千僧供養への出仕をめぐって、京都の本山が二派に分裂したとき、上人は不受不施派*の伝統を守って出仕しなかった。そして本圀寺を出て...

写真提供:祇王寺
祇王寺 ( 京都府 京都市右京区 )
JR嵯峨嵐山駅または嵐電嵐山駅からともに徒歩25分、市バスだと嵯峨小学校から徒歩15分。二尊院から化野念仏寺へ向かう道の途中を左折し、樹木がトンネルをつくる小径の奥にある。 「平家物語」によれば、平清盛の寵愛を受けた白拍子祇王*は、あとから現れた白拍子の仏御前*に寵愛を奪われた。清盛に追い出された祇王は母・妹とともに都...

写真提供:長岡京市商工観光課
長岡天満宮 ( 京都府 長岡京市 )
阪急長岡天神駅から徒歩10分。菅原道真公が大宰府に左遷される際に名残を惜しんだ地といわれ、のち祠を建て公御自作の木像を祀ったのに始まる。戦乱などで衰退したが、1498(明応7)年に再興されたといい、1780 (安永9)年に刊行された「都名所図会」には、天満宮が描かれている。もとは開田天満宮と称し、現社名は江戸時代になってから。...

写真提供:パーソナル企画
三室戸寺 ( 京都府 宇治市 )
京阪宇治線三室戸駅から東1kmの明星山の山裾にある。杉木立の茂る参道を上ると、本堂、阿弥陀堂などが立ち、本堂東方に三重塔が望まれる。770(宝亀元)年に金銅二臂(ひ)千手観音菩薩*を本尊に開創されたと伝え、皇室の帰依も篤かった。西国三十三所第10番札所で、霊宝殿には平安時代の古仏も残る。本堂左上には室町時代の社殿をもつ十八...

興聖寺 ( 京都府 宇治市 )
京阪宇治駅から宇治川沿いに歩いて約20分、JR宇治駅からの場合は徒歩30分で着く。興聖寺は、曹洞宗の祖・道元が1233(天福元)年、日本初の曹洞宗の修行道場として伏見深草に建立したのを起源とする。道元は1243(寛元元)年に越前に移り、のちに寺は途絶。これを惜しんだ江戸時代初期の淀城主・永井尚政が1648(慶安元)年、萬安英種禅師を...

出雲大神宮 ( 京都府 亀岡市 )
JR嵯峨野線(山陰本線)亀岡駅から北へ約6km、桜並木の七谷(ななたに)川を渡り、千歳(ちとせ)山を背にして鎮座する。祭神は大国主命と三穂津姫命*の二座。社伝では大国主命がこの地から杵築(出雲)大社*に遷したとされ、709(和銅2)年に初めて社殿を造営したと伝えている。このため「元出雲」ともいわれる。「延喜式」においても名神...

成相寺 ( 京都府 宮津市 )
日本三景の一つ天橋立を見下ろす標高569mの成相山(鼓ヶ岳)の中腹にある。山麓の府中駅から天橋立ケーブルまたはリフトで傘松公園まで登り、成相寺登山バスに乗り継いで7分で着く。西国三十三所観音霊場の第28番札所であり、三十三所中、最北端に位置している。 704(慶雲元)年、文武天皇の勅願により真応上人が開いたと伝わる。「今昔...

写真提供:笠置寺
笠置寺 ( 京都府 笠置町 )
JR関西本線笠置駅から徒歩15分。笠置山の山頂近くに立つ真言宗智山派の寺。高さ15mの大きな岩に刻まれた、日本最古最大と言われる「弥勒磨崖仏」を本尊とする。大友皇子または天武天皇の開基と伝えるが、本尊弥勒磨崖仏などから推測すると、奈良時代、東大寺の良弁(ろうべん)*や実忠(じっちゅう)*が参籠したときに、山岳信仰の修行場と...

法観寺(八坂の塔) ( 京都府 京都市東山区 )
東山安井または清水道バス停から徒歩5分、二年坂近くの立て込んだ民家の間にあり、八坂の塔で知られる。臨済宗建仁寺派。飛鳥時代の創建と伝えられ、古瓦、塼仏(せんぶつ)*などが出土する京都市内でもっとも古い寺院の一つ。四天王寺式の伽藍だったといわれ、法隆寺式との説もある。聖徳太子が如意輪観音の夢告により創建したというが、一...

清凉寺 ( 京都府 京都市右京区 )
JR山陰本線(嵯峨野線)嵯峨嵐山駅、嵐電嵐山駅のどちらからも徒歩15分。嵯峨釈迦堂の別名で親しまれている清凉寺は嵯峨野でも有数の古刹である。豪壮な仁王門をくぐると、広い境内に本堂*・阿弥陀堂などの大堂が並び立つ。この地にはもともと『源氏物語』の光源氏のモデルともいわれる源融(みなもとのとおる)*の山荘・栖霞観(せいかか...

写真提供:常照皇寺/撮影:村山仁志
常照皇寺 ( 京都府 京都市右京区 )
京都市北郊、周山地区の山里にある臨済宗天龍寺派の禅寺。京都駅からJRバス高雄京北線で約1時間30分の周山下車、京北ふるさとバス山国・黒田線に乗換え16分の山国御陵前下車、徒歩7分で到達する。 南北朝時代に北朝初代の天皇となった光厳天皇*が1362(貞治元)年に開き、歴代天皇の帰依を受けた皇室ゆかりの寺である。光厳天皇は上皇に...

愛宕念仏寺 ( 京都府 京都市右京区 )
阪急嵐山駅から京都バス清滝行きで「愛宕寺前(おたぎてらまえ)」下車。バス停の前に愛宕念仏寺の仁王門が立つ。嵐山方面から徒歩の場合は、嵯峨鳥居本に立つ愛宕神社の「一の鳥居」を過ぎ、愛宕街道*をさらに清滝方面へ300m進んだ先にある。 奈良時代、称徳天皇により現在の東山区松原通に愛宕寺として創建された。当時その地は山城国...

写真提供:二尊院
二尊院 ( 京都府 京都市右京区 )
JR嵯峨嵐山駅から徒歩20分、「百人一首」に詠われた小倉山*の東麓にある。衆生を現世から来世へ送り出す「発遣(ほっけん)の釈迦」と、浄土へ迎え入れる「来迎の阿弥陀」の二尊*を本尊に祀ることから、二尊院と呼ばれる。正式名称は小倉山二尊教院華臺寺。承和年間(834~847)、嵯峨天皇の勅願で慈覚大師円仁が建立した。のちに荒廃した...

写真提供:安楽寺
安楽寺 ( 京都府 京都市左京区 )
京都駅から市バス岩倉操車場行きに乗り、真如堂前下車、徒歩15分。「哲学の道」の1筋山側、閑静な鹿ヶ谷の地にある。茅葺きの山門から本堂へと続く庭は苔とサツキの刈込みが美しい。法然上人の高弟であった住蓮上人と安楽上人が、鹿ヶ谷草庵を結び、浄土礼讃を称えたのが同寺の始まり。両上人の念仏の教えに感銘を受けた後鳥羽上皇の女官、松...

写真提供:実相院
実相院 ( 京都府 京都市左京区 )
叡山電鉄鞍馬線岩倉駅から徒歩20分。岩倉門跡とも呼ばれる門跡寺院で、もとは天台宗寺門派であったが、現在は単立寺院である。1229(寛喜元)年、関白近衛基通の孫・静基僧正が紫野に創建。のちに現・上京区実相院町に移り、応仁の乱の戦火を避けて現在地に再移転した。寛永年間(1624~1644)、足利義昭の孫・義尊が皇室や徳川家の援助を受け...

梅宮大社 ( 京都府 京都市右京区 )
阪急嵐山線松尾大社駅から東へ徒歩10分、桂川に近い梅津*にある。楼門・拝殿・本殿が一直線に並び、本殿は檜皮葺の美しい屋根をもつ三間社流造の建物。「延喜式」に載る名神大社*としての風格が漂う。約1,300年前、橘諸兄の母・県犬養三千代が橘氏の氏神として、橘諸兄の別荘があった京都府綴喜郡井手町に祀ったのが始まり。後に、嵯峨天皇...

写真提供:鹿王院
鹿王院 ( 京都府 京都市右京区 )
京福電鉄嵐山本線鹿王院駅から徒歩3分にある。1380(康暦2)年、足利義満は自らの長寿を願い、師である春屋妙葩*(しゅんおくみょうは。普明国師)を開山として、宝幢寺(ほうどうじ)を創建。その境内に開山塔を建て、鹿王院と称した。宝憧寺は京都十刹の第五位の名刹だったが応仁の乱で廃絶し、鹿王院だけが残った。のちの地震で大きな被...

写真提供:パーソナル企画
地蔵院 ( 京都府 京都市西京区 )
阪急嵐山線上桂駅から徒歩15分のところにある臨済宗の寺。竹林に包まれていることから「竹寺」とも呼ばれる。また、延命安産の地蔵菩薩を本尊とすることから「谷の地蔵」とも呼ぶ。衣笠内大臣といわれた歌人・藤原家良の山荘跡に1367(貞治6)年、室町幕府管領の細川頼之が夢窓疎石の高弟・宗鏡禅師を招請して伽藍を建立した。その後、北朝系...

写真提供:パーソナル企画
勝持寺 ( 京都府 京都市西京区 )
西京区大原野の山裾に位置。阪急京都線「東向日駅」から阪急バスで20分の「南春日町」下車、徒歩約20分で到達する。西行法師*が出家し、庵を結んだ寺と伝わり、境内には「西行桜」はじめ約100本の桜があり、古来「花の寺」と呼ばれている。世阿弥作の謡曲「西行桜」の舞台ともされる。 679(天武天皇8)年、天武天皇の勅により役行者が創...

圓光寺 ( 京都府 京都市左京区 )
叡山電鉄一乗寺駅から東へ徒歩15分にある。1601(慶長6)年、徳川家康が国内教学の発展を図るため、足利学校9代学頭の三要元佶(さんようげんきつ)を招き、伏見に建立した圓光寺学校に始まる。のちに相国寺山内に移り、1667(寛文7)年、現在地に移された。伏見にあった当時は、「貞観政要」など多数の書物を刊行。これらは伏見版、または圓...

写真提供:貴船神社
貴船神社 ( 京都府 京都市左京区 )
叡山電鉄鞍馬線貴船口駅から北へ約2km、貴船川畔にある。貴船口駅からバスなら4分の貴船下車、徒歩5分。祭神は水の供給を司る神・高龗神(たかおかみのかみ)。賀茂川の水源地に祀られ、818 (弘仁9)年以来、治水の神・祈雨祈晴の神として崇められ、日照りや長雨、国家有事の際には必ず勅使が差し向けられ、祈雨には黒馬、止雨には白馬を献...

写真提供:PIXTA
瑠璃光院 ( 京都府 京都市左京区 )
叡山電鉄八瀬比叡山口駅から徒歩12分。比叡山の西麓、八瀬にある寺院。岐阜市にある「浄土真宗無量寿山光明寺」の京都本院とされており、本尊は阿弥陀如来。明治時代に実業家の別荘として造営され、戦後は高級料理旅館などに利用されたが、2005(平成17)年、寺院に改められた。約4万m2の敷地に、延べ800 m2の数寄屋造...

智恩寺(切戸の文殊) ( 京都府 宮津市 )
京都丹後鉄道天橋立駅の北東、徒歩約5分、天橋立の南端すぐ近くにあり、日本三文殊*の一つ「切戸(きれと)の文殊」で知られる臨済宗妙心寺派の禅寺。雪舟の「天橋立図」の中にも堂塔が描き込まれている。寺伝では904(延喜4)年に醍醐天皇から「天橋山智恩寺」の寺号を賜り、この年を創建としている。それ以前より文殊菩薩の霊地としての伝...

元伊勢籠神社 ( 京都府 宮津市 )
京都丹後鉄道天橋立駅から天橋立を渡って約3.5km、天橋立駅から徒歩3分にある桟橋から天橋立観光船で一の宮桟橋まで約12分、下船後徒歩3分。 社伝によればその歴史は神代から続くといわれ、天照大神が伊勢神宮に鎮座する以前にいまの奥宮あたりにあった豊受大神を祀る匏宮(よさのみや)に遷座し、吉佐宮(よさのみや)と呼ばれていたこと...

写真提供:パーソナル企画
大徳寺 ( 京都府 京都市北区 )
船岡山の北、北大路通の市バス大徳寺前のすぐ北が大徳寺。境内の東を通る大徳寺通に向かって総門が開き、西は今宮門前通を越えて千本通近くにまで及び、西端は塔頭孤篷庵。間に京都市立紫野高校や民家を挟んでいる。 臨済宗大徳寺派大本山、宗峰妙超(大燈国師)が1315(正和4)年に、赤松則村の援助で建てた小庵に始まる。花園上皇から寄...

写真提供:正法寺
正法寺 ( 京都府 京都市西京区 )
西京区大原野にあり、「西山のお大師さま」と親しまれる真言宗東寺派の寺院。阪急京都線東向日駅・洛西口駅およびJR向日町駅・桂川駅からバスで約20分、南春日町下車、徒歩8分で到達する。 鑑真和上とともに唐より渡来した高弟の智威大徳が、天平勝宝6年(754)に隠棲地として開いた春日禅房が始まり。最澄が大原寺を建立した際、その塔頭...

妙法院 ( 京都府 京都市東山区 )
京阪本線七条駅から徒歩10分。東大路通に面し、石垣上に築地塀を廻らせ、表門、唐門を構える。幕末まで代々法親王が住持を務めた名刹で、天台三門跡の一つ(ほかは青蓮院と三千院)。広大な境内に国宝の庫裏、重要文化財の大書院や玄関、宸殿など多くの殿舎が立つ。建物内部は通常非公開で、2027(令和9)年まで庫裏改修工事のため境内にも入...
四天王寺 ( 大阪府 大阪市天王寺区 )
JR関西本線・大阪環状線・阪和線天王寺駅から南大門まで北約800m、大阪メトロ谷町線四天王寺前夕陽ケ丘駅から西大門まで南へ450m。『日本書紀』によると、聖徳太子が現在地に593(推古天皇元)年、日本最初の官寺として造営*1したといわれる。寺と学校的施設である敬田院、福祉的施設である悲田院、病院的施設である施薬院・療病院の四箇院...
住吉大社 ( 大阪府 大阪市住吉区 )
南海電車住吉大社駅の東側の通りには路面電車(阪堺電軌)の住吉鳥居前駅があり、その先に住吉大社の境内が広がる。大鳥居をくぐると正面に朱塗りの大きな反(太鼓)橋*1があり、これを渡って、さらに鳥居を抜けると住吉造*2の4棟の本殿*3が建つ。今は海に遠くなったが、かつては海に向かって西面していたという。手前に建つ第三(本宮)...

写真提供:勝尾寺
勝尾寺 ( 大阪府 箕面市 )
北大阪急行線箕面萱野駅から北へ約7㎞、阪急箕面線箕面駅から箕面ドライブウエイ・箕面大滝経由で約8kmの勝尾寺川最上流にある。大阪平野の北端、北摂山系の南端の山腹に寺域は広がり、山門・多宝塔・二階堂*1・本堂・大師堂・薬師堂*2(修復中)・荒神堂などが建ち並ぶ。源頼朝による再建と伝えられる薬師堂以外の堂宇は、たびたびの焼失...
大阪天満宮 ( 大阪府 大阪市北区 )
大阪メトロ谷町線・堺筋線南森町から天神橋筋商店街を経て表大門まで南東へ約350m、JR東西線大阪天満宮駅から北門(大工門)まで南へ100mほどのところにあり、都心の商店街やビル街の中にある。重厚な表大門をくぐると都心としては広々とした境内で、正面には1845(弘化2)年再建の本社をはじめ社殿*1が建ち並ぶ。また、境内西側には、天満...
道明寺天満宮 ( 大阪府 藤井寺市 )
近鉄南大阪線道明寺駅から西へ約300m。手前に道明寺天満宮の境内が広がり、その先にかつて神宮寺であった道明寺が並ぶ。 同社の創建は、野見宿禰*1を祖とするといわれる土師氏が同地に所領を給わり、氏神として祀ったのが始まりとされる一方、仏教伝来とともに594(推古天皇2)年、同地に土師八嶋*2が氏寺として尼寺の土師寺を創建した...
施福寺 ( 大阪府 和泉市 )
泉北高速鉄道和泉中央駅から東南へ約10km。路線バスの終点槙尾山バス停*1(駐車場)の先に入山の受付(入山有料)があり、しばらく槙尾川沿いに舗装道を行くと大きな山門*2が建つ。ここから山道に入り、石段が随所にある参道を約1km、徒歩30分ほど登った槙尾山*3の尾根に同寺の堂舎がある。左手の金堂(本堂)を中心に拝堂・護摩堂・大師...
葛井寺 ( 大阪府 藤井寺市 )
近鉄南大阪線藤井寺駅の東にある商店街を南に300mほど歩くと、左手に朱塗の四脚門がある。この門は国の重要文化財に指定されている西門*1で、正面となるのは、さらに進み左手に曲がった南大門*2である。南大門の正面奥に本堂*3と護摩堂が立ち、阿弥陀堂*4(旧・二十五菩薩堂:2024年4月落慶)、大師堂、本坊などの建物が控え、4月中旬~下...
観心寺 ( 大阪府 河内長野市 )
南海電車河内長野駅から南東へ3.5km。国道310号沿いの山間に建つ古刹。 山門をくぐると、幅広い長い石段に導かれて国宝である金堂*1に着く。この金堂を中心に緩やかな傾斜を利用して建掛塔*2、霊宝館*3、講堂、訶梨帝母天堂(かりていもてんどう)*4などの堂宇が配されている。南朝ゆかりの寺で、後村上天皇陵*5や楠木正成首塚*6が...
杭全神社 ( 大阪府 大阪市平野区 )
JR大和路線平野駅から線路沿いに東南へ350mほど行ったところにあり、境内の東側に沿い、かつての平野環濠集落*1の環濠が遺されている。 同社には3棟の本殿があり、第一殿には素盞嗚尊(すさのをのみこと)、第二殿には熊野三所権現といわれる伊弉册尊(いざなみのみこと)・速玉男尊(はやたまのをのみこと)・事解男尊(ことさかのをの...
南宗寺 ( 大阪府 堺市堺区 )
阪堺電軌鉄道阪堺線御陵前駅から東へ約400mで南宗寺の北門に辿り着く。焼け瓦の埋めこまれた土塀を巡らす広大な境内に山(甘露)門*1、唐門*2、仏殿*3、鐘楼、浴室などが点在し、天慶院をはじめとする多くの塔頭が立っている。 草創は1526(大永6)年に京都の大徳寺(臨済宗)の住職古嶽宗亘が現在地の北あたり(現・寺地町3丁付近)に...
枚岡神社 ( 大阪府 東大阪市 )
近鉄奈良線枚岡駅すぐ、生駒山地の枚岡山麓に鎮座している。社伝では神武天皇ご東征の際、神事の神で皇室の守護神である天児屋根命(あめのこやねのみこと)と比売御神(ひめみかみ)を国土平定祈願のため、生駒山麓の聖地「神津嶽」(同社の本宮)に祀ったのが創祀*1となっている。さらに650(白雉元)年に現在の地に遷したと伝えられてい...
大鳥大社 ( 大阪府 堺市西区 )
JR阪和線鳳駅の北450mほどのところにある。同社は、927(延長5)年成立の延喜式神名帳に社格の高い「名神大社」としての記載がすでにあり、和泉国の一ノ宮とされる。江戸時代には「大鳥大明神」と称されていた。創建伝承として日本武尊の白鳥伝説*2がある。なお、祭神は日本武尊と大鳥連祖神を祀る。 境内は5万m2と広く、「千...
久米田寺 ( 大阪府 岸和田市 )
JR阪和線久米田駅から東南へ約1.2kmのところにある。行基*1が畿内に建造した49院の一つにあげられ、境内の南側には満水面積約456,000m2、周囲約2,650mの久米田池*2が広がる。この池は行基が725(神亀2)年から738(天平10)年まで14年の歳月をかけて築いた農業用水池として知られる。同寺の草創は734(天平6)年*3、聖武天皇の...
石切劔箭神社 ( 大阪府 東大阪市 )
腫物に霊験がある神で知られ、また延喜式内社に列したこの神社は、近鉄奈良線石切駅から西へ800m、同けいはんな線新石切駅から東へ約650mのところにある。古くからの門前町の石切参道商店街は石切駅からの道沿いとなる。一の鳥居、二の鳥居は社殿の南から参道に連なり、三の鳥居前で石切駅側からの参道と交わる。三の鳥居の南側に、重厚な...
上之太子叡福寺 ( 大阪府 太子町 )
近鉄南大阪線上ノ太子駅から南へ約1.9km、同長野線喜志駅から東へ約3.2kmにある古刹で竹内街道*1の沿道にあたる。創建については定かではないが、寺伝によると聖徳太子が生前自ら墓所(廟所)*2をこの地に造り、その死後廟所を守護するため622(推古天皇30)年に一堂を構えたのが草創*3だという。724(神亀元)年聖武天皇が法隆寺を模して...

鶴林寺 ( 兵庫県 加古川市 )
JR神戸線加古川駅から南へ2km、山陽電鉄尾上の松駅から北へ1.2kmの所にある古刹。創建については、定かではないが、江戸時代に記された「鶴林寺縁起」では、高麗出身の高僧恵便が蘇我氏と物部氏の争いからこの地に隠遁したため、589(崇峻天皇2)年に聖徳太子が、秦河勝に命じて創建*1したと伝え、はじめは刀田山四天王聖霊院と称した。後に...

一乗寺 ( 兵庫県 加西市 )
神姫バス姫路駅より一乗寺経由社行で37分、一乗寺下車すぐ。北條鉄道法華口駅から約5km、法華山(標高243m)の山中の小盆地にある。境内は、木立が繁茂する法華山の南斜面が段状に造成され、そこに堂宇が建立されている。 同寺の創建については、650(白雉元)年、インドの高僧法道仙人*1が中国、朝鮮を経て飛来し、山に囲まれた同地の地...

浄土寺 ( 兵庫県 小野市 )
神戸電鉄粟生線小野駅から北東へ約4km、のどかに広がる田園風景の中にある。源平合戦の戦火による東大寺焼失をうけ、再建のための勧進職となった俊乗房重源*1は、建久年間(1190~1199年)にこの地方に従来からあった東大寺播磨別所(荘園)に加え、大半が荒野だった大部荘(おおべのしょう)の開発に力を注いだ。さらに1192(建久3)年の「...

湊川神社 ( 兵庫県 神戸市 )
JR神戸駅の北、阪急・阪神・山陽各線高速神戸駅の東改札から地上にでたところにある。この地はもともと楠木正成*が1336(延元元)年に足利尊氏・直義等の軍勢と戦い、敗れ、刺し交え、生涯を閉じた場所であったとされ、文禄年間(1592~1596年)の太閤検地の際、免祖地となった。1692(元禄5)年には徳川光圀によって正成の墓所*が建立され...

太山寺 ( 兵庫県 神戸市 )
神戸市営地下鉄西神・山手線伊川谷駅から北東へ2.7km、または学園都市駅から北へ2.5km。境内は深い原生林の山に囲まれ、いわゆる「八葉蓮華」の地にある。創建は江戸初期の「播州太山寺縁起」によると、藤原鎌足の長男定恵和尚の開山と伝えられ、鎌足の孫の宇合が716(霊亀2)年に建立*1したとしている。鎌倉から室町時代にかけては多数の僧...

須磨寺 ( 兵庫県 神戸市 )
山陽電鉄須磨寺駅から須磨寺前商店街を通って北西へ約450mのところにある。正式には上野山福祥寺だが、古くから須磨寺と称されてきた。宗派は真言宗。創建は同寺の縁起では近くの和田岬の海中より出現した聖観世音菩薩像を安置するため、淳和天皇の勅命で会下山(兵庫区会下町)に北峰寺が建立されたのち、886(仁和2)年には光孝天皇の勅命...

多田神社 ( 兵庫県 川西市 )
能勢電鉄多田駅から西へ約2kmのところにある。清和源氏一門の祖廟として970(天禄元)年に源満仲*1が創建。もとは多田院と号し、別称として鷹尾山法華三昧寺とも呼ばれた。その後、金堂・塔婆・学問所・法華堂・常行堂・御影堂等が造営され、源満仲・頼光*2の廟所があったことから、源氏姓を名乗る北条・足利など武家諸侯の信仰が篤く隆盛...

写真提供:高源寺
高源寺 ( 兵庫県 丹波市 )
JR福知山線柏原駅から北西に約20km、岩屋山(標高718m)の北麓にある。1325(正中2)年、中国(「元」)の杭州天目山の中峰明本(普応国師)に10年間学んで帰った遠谿祖雄禅師*が、霊夢で得た天目山に似たこの地に堂宇を創建した寺。同寺は遠谿祖雄禅師が日本へ帰国した後に、入元した業海本浄*が同じ天目山で学び、1348(貞和4)年に開創...

圓教寺 ( 兵庫県 姫路市 )
JR山陽本線・山陽電鉄姫路駅より北へ7kmほどの書写山ロープウエイ山麓駅からロープウエイに乗って約4分の山上駅下車。ここから約1kmの急坂を登ると、徒歩20分ほどで圓教寺の摩尼殿(本堂)*1に着く(有料のマイクロバスあり、所要5分)。 標高371mの書写山の山上一帯は圓教寺の境内で占められ、全山スギ・ヒノキなどの深い森で覆われてお...

名草神社 ( 兵庫県 養父市 )
JR山陰本線八鹿駅から西へ約16km、標高1142mの妙見山(みょうけんざん)中腹に鎮座し、927(延長5)年に撰進された延喜に式内社として記載がある古社。創建は社伝では、585(敏達天皇14)年に養父郡の郡司が紀州名草の出身で、自らの祖神であった名草彦など七座の神を石原山(妙見山)に祀ったのが始まりとしているが、定かではない。ただ、...

斑鳩寺 ( 兵庫県 太子町 )
JR山陽本線網干駅から北へ約3kmの鵤(いかるが)地区にある。創建の年代は不詳であるが、寺伝では 606(推古天皇14)年に聖徳太子が飛鳥豊浦宮(現・奈良県明日香村橘寺) で天皇の御前で勝鬘経を講説したところ、播磨国揖保郡の水田100町*1を賜り、その地に伽藍を建てたのが斑鳩寺の始まりとされる。その後、この地は法隆寺領鵤荘と呼ばれ...

大乗寺 ( 兵庫県 香美町 )
JR山陰本線香住駅から南へ1.7km、北流する矢田川が左右に大きく屈曲する懐部分にあり、かつては門前町として賑わったと思われる通りの真ん中あたりに丘を背にして建つ。大乗寺は「応挙寺」ともよばれ、円山応挙*1が長子応端、長沢芦雪*2など門弟12名とともに客殿13部屋に襖絵などとして描いた障壁画165面が遺されている寺として知られてい...

写真提供:パーソナル企画
岡寺 ( 奈良県 明日香村 )
近鉄橿原神宮前駅から東へ約5km、明日香村の東の山腹に位置する。西国三十三所観音霊場の第7番札所。龍蓋寺ともいうが、古くから地名由来の「岡寺」の名で親しまれ、現在では宗教法人としての名も「岡寺」となっている。仁王門*1をくぐり石段を上ると、本尊の塑造如意輪観音坐像*2を安置する本堂*3を中心に、古書院*4、開山堂*5、三重宝塔*6...

写真提供:パーソナル企画
橘寺 ( 奈良県 明日香村 )
近鉄吉野線飛鳥駅から東へ約2.2km、飛鳥川の左岸、川原寺跡の南に対面して建つ。現在は、田園風景のなかに本堂(太子殿)、経堂、観音堂などの堂宇*1が並ぶ。本堂には本尊で国の重要文化財に指定されている木造聖徳太子坐像*2が安置されている。なお、正式名称は仏頭山上宮皇院菩提寺という。 創建*3について明確ではないが、寺伝では聖徳...

写真提供:パーソナル企画
飛鳥寺 ( 奈良県 明日香村 )
わが国最初の本格的寺院。飛鳥にあるので飛鳥寺と呼ばれるが、当初は法興寺・元興寺ともいわれた。 飛鳥寺の創建の経緯は「日本書記」に記されている。仏教受容派の蘇我氏と排除派の物部氏の対立は、587( 用明天皇2) 年、皇位継承争いと相まって戦いとなり、蘇我馬子はこの戦いに際し寺院建立と仏法流布を誓った。物部守屋が滅亡すると、...

写真提供:信貴山朝護孫子寺
信貴山朝護孫子寺 ( 奈良県 平群町 )
近鉄生駒線信貴山下駅から約2.6km、生駒山系の南端、信貴山(標高437m)の南東中腹に広大な境内をもつ。ずらりと並ぶ千体地蔵を右に仁王門をくぐり、無数の石燈篭のつづく参道の先に本堂をはじめ朱塗の三重塔、多宝塔、霊宝館*1など多くの堂宇が軒を接している。なかでも鉄筋コンクリートで1958(昭和33年)に再建された舞台造の本堂は、急崖...

法隆寺 ( 奈良県 斑鳩町 )
JR法隆寺駅から法隆寺南大門まで北へ約1.5km。聖徳太子ゆかりの斑鳩の里にあり、斑鳩寺*1とも呼ばれた。矢田丘陵南端の山裾を背に立ち並ぶ金堂・五重塔などの伽藍は、現存世界最古の木造建築といわれる。 法隆寺の歴史は金堂の薬師如来光背銘*2によると、607(推古天皇15)年に聖徳太子と推古天皇が創建したとされる。ただ、日本書紀には6...

写真提供:パーソナル企画
法起寺 ( 奈良県 斑鳩町 )
JR関西本線(大和路線)法隆寺駅から北東へ約2.5km、法隆寺から北東へ約2kmのところにあり、もとは岡本寺(おかもとでら)・池後尼寺(いけじりにじ)とも称した。706(慶雲3)年完成とされる三重塔*1にあった露盤銘*2によると、聖徳太子の岡本宮を山背大兄王が寺に改め、638(舒明天皇10)年に金堂が建立、685(天武天皇10)年に三重塔の建...

中宮寺 ( 奈良県 斑鳩町 )
JR関西本線(大和路線)法隆寺駅から北へ約1.5km、法隆寺東院(夢殿)の北東に接しているが、室町時代(16世紀前半まで)は東方約500m*1にあり、斑鳩尼寺(いかるがにじ)とも呼ばれた。創建年代については諸説*2があるが、聖徳太子の母穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后の御所を寺としたと伝え、法隆寺若草伽藍とほぼ同時期に建立された...

写真提供:パーソナル企画
東大寺 ( 奈良県 奈良市 )
近鉄奈良線奈良駅から東大寺南大門まで東へ約1.2km、若草山の麓に広大な寺域を占める巨刹。仏教文化が最高潮に達した8世紀半ばに、国力を傾けて造営された。寺号は平城京の東方にある大寺ということに由来する。正式には金光明四天王護国之寺*1とも称し、南都七大寺*2の一つであった。天災や兵火でたびたび伽藍を失いながらも、本尊の「奈良の...

写真提供:パーソナル企画
春日大社 ( 奈良県 奈良市 )
御蓋山(みかさやま)*1の麓、春日山原始林から続く深い杜の中に鎮座する古社。近鉄奈良線奈良駅から800mほどの興福寺境内のすぐ東に立つ一之鳥居*2から本社までさらに1300mほど続く表参道は、浅茅(あさじ)ヶ原、飛火野を通って行く。参道に燈籠が徐々に増え、二之鳥居を過ぎれば、両側に石燈籠が林立して、本社の南門*3へと導かれる。本殿...

写真提供:パーソナル企画
興福寺 ( 奈良県 奈良市 )
境内の南側から入るのならば、近鉄奈良線奈良駅からアーケードの東向商店街を南下し、三条通りを西へ。駅から約500mで五重塔のたもとに着く。北側からならば、近鉄奈良駅から大宮通り(登大路)を東へ300mのところが北参道の入口になる。 約2万5,000坪(約8万2,500m2)に及ぶ境内には、仕切りの塀もない松林の中に、中金堂*1・...

写真提供:薬師寺
薬師寺 ( 奈良県 奈良市 )
近鉄橿原線西ノ京駅のすぐ南東にあり、境内に立つ三重塔は西ノ京のシンボルになっている。西ノ京駅から道を左にとれば、與楽門からすぐ境内に入れるが、正面は南側の南門となる。伽藍配置は、南門*1、中門、本尊の薬師三尊像(国宝)を祀る金堂*2、教学の中心となる大講堂*3、僧侶が食事をする食堂*4が南北に一直線に並び、金堂の左右(東西...

写真提供:パーソナル企画
唐招提寺 ( 奈良県 奈良市 )
近鉄橿原線西ノ京駅から北へ約600m、閑静な五条町の集落の一角に、木立の深い境内が広がっている。南大門*1をくぐると、正面に「天平の甍」の金堂*2が建ち、その背後に平城宮から移された講堂*3が構えている。奈良に遺る古代寺院のほとんどが兵火にかかっているなかで、創建時からの姿を維持しつつ、奈良時代から近世までの各時代の伽藍*4をよ...

元興寺 ( 奈良県 奈良市 )
近鉄奈良線奈良駅から南へ約1km、「ならまち」の古い街並みのなかに元興寺は建つ。この寺は、蘇我馬子が飛鳥に建立した日本初の本格的寺院、法興寺(飛鳥寺*1)を前身とする。平城遷都によって現在地に移転し、新しい伽藍*2を建立、大いに栄えた。しかし、都が京都へ遷り、平安時代も後期になると寺勢は衰退、東大寺や興福寺の傘下に組み込ま...

写真提供:新薬師寺
新薬師寺 ( 奈良県 奈良市 )
近鉄奈良駅から東南へ約2.3km、天平建築の本堂*1と本尊の薬師如来坐像*2、天平期の塑造彩色像の十二神将立像*3で知られている。草創については、聖武(しょうむ)天皇の病気平癒を祈って、747(天平19)年に光明(こうみょう)皇后が建立し、7躯の薬師如来像を安置したという。当時、天皇の発願による東大寺の大仏が造立されていたが、そのさ...

秋篠寺 ( 奈良県 奈良市 )
近鉄奈良線大和西大寺駅から北西に約1.2km、秋篠の里にあり、境内に入ると苔むした前庭が広がる。創建については諸説ある。当地の豪族・秋篠氏の氏寺だったともいわれるが、寺伝では780(宝亀11)年頃*1、光仁天皇の勅願により法相宗の六祖*2のひとり善珠が開いたとされる。奈良時代最後の官寺であり、造営は次の桓武天皇の代まで続いたと伝...

写真提供:パーソナル企画
圓成寺 ( 奈良県 奈良市 )
近鉄奈良線奈良駅から東へ約12km、忍辱山(にんにくせん)*1の山号をもつ柳生街道沿いの第一の古刹。赤松や杉が茂り、苑池の広がる浄土式庭園*2と一段高く立つ瀟洒な楼門*3、さらに奥の本堂*4や本堂左手にある丹塗(にぬり)の白山堂・春日堂と宇賀神本殿*5が背後の森に包まれる幽邃境となっている。同寺の縁起*6では、756(天平勝宝8)年に...

写真提供:パーソナル企画
般若寺 ( 奈良県 奈良市 )
近鉄奈良線奈良駅から北東へ約2.2km、京都に向かう奈良街道の奈良坂に面し、軒の低い二階屋の民家が並ぶなかに楼門が立つ。舒明天皇(593~641)のころ、高句麗の僧慧灌*1がここに一宇を建て、654(白雉5)年、孝徳天皇の病気全快を祈って蘇我日向臣(そがのひむかのおみ)が伽藍を創建したと伝えられる。さらに735(天平7)年、聖武天皇が平...

写真提供:パーソナル企画
不退寺 ( 奈良県 奈良市 )
近鉄奈良線新大宮駅から北へ約1km、木立に囲まれた参道の先にある。正式な山号寺号は金龍山不退転法輪寺である。「大和国金龍山不退寺縁起」によると、平城天皇は809(大同4)年譲位後に、この地に茅葺(かやぶき)の仮殿(宮)を営み*1、第1皇子阿保(あぼ)親王、その子在原業平*2も引きつづいてここに住んだと伝えている。この地での寺院...

写真提供:法華寺
法華寺 ( 奈良県 奈良市 )
近鉄奈良線新大宮駅から北西へ約1.3km、東大寺転害門から西へたどる佐保路(平城京の一条南大路)の突き当たりにある尼寺。天平時代に光明皇后*1が藤原不比等*2の邸宅を喜捨して寺を建て、総国分尼寺となり、法華滅罪之寺*3と称した。七堂伽藍を備えた大寺であったと推定されるが、平安遷都後は衰え、鎌倉時代に西大寺の僧叡尊が再興したが、...

正暦寺 ( 奈良県 奈良市 )
近鉄奈良線奈良駅から南東へ約9km、JR桜井線(万葉まほろば線)帯解駅から東へ5km。高円山の南、菩提仙川を遡った沢沿いに堂宇が建つ。一条天皇の発願によって992(正暦3)年、藤原兼家の子・兼俊僧正が創建し、当初は堂塔伽藍86宇を数える大寺であったといい、北大和五山*1に数えられていた。1180(治承4)年、平重衡の南都焼き討ちの際に全...

写真提供:帯解寺
帯解寺 ( 奈良県 奈良市 )
JR桜井線(万葉まほろば線)帯解駅から北200mほどのところにある。寺伝では勤操を開基とする巖渕千坊*1の一院で霊松庵であったとされ、文徳天皇の皇后藤原明子が子がなく悩んでいた折、同庵の地蔵菩薩に祈願をしたところ、見事懐妊し、無事にのちの清和天皇を安産したことから、858(天安2)年に伽藍を建立し、寺号を「無事安産し、腹帯が安...

大安寺 ( 奈良県 奈良市 )
JR関西本線(大和路線)奈良駅から南へ約2km、JR桜井線(万葉まほろば線)京終駅から西へ約1.7km、奈良市街南西部のはずれに見える小さな森が現在の大安寺境内である。もともとは、聖徳太子が平群郡に建立したという熊凝精舎(くまごりしょうじゃ)が草創*1と伝えられ、その後、舒明天皇の発願により寺地を遷し、十市郡(百済)で百済大寺と...

白毫寺 ( 奈良県 奈良市 )
JR桜井線(万葉まほろば線)京終駅から高円山に向って約2.2km、高円山の西麓、奈良盆地の眺望が開ける高台にある。境内は広くはないが、本堂と宝蔵などが建ち、本堂右手の池の奥には多宝塔跡や石仏を巡る「石仏の道」がある。創建は、諸説*1あり不詳だが、一説には天智天皇の本願により勤操*2が開基したともいわれ、高円山にあったとされる勤...

西大寺 ( 奈良県 奈良市 )
近鉄大和西大寺駅の南出口から徒歩3分。765(天平神護元)年、称徳天皇の勅願*1によって東の大寺(東大寺)に対する西の大寺として創建され、官大寺の一つとして大伽藍を誇った。平安遷都、そして数度の火災によって衰えたが、鎌倉時代に叡尊*2が出て復興に努め、真言律宗の道場として再興した。現在は、江戸時代に再建された本堂*3・愛染堂*...

写真提供:霊山寺
霊山寺 ( 奈良県 奈良市 )
近鉄奈良線富雄駅から南へ約2.6km、富雄川に臨んで朱塗の大鳥居*1が立ち、境内は矢田丘陵を背後に控えて木立が多い。創建については諸説*2あり、不分明だが、寺伝の略縁起では、聖武天皇の勅願によって、天平時代に行基が開基となったという伝承が記されている。本尊の薬師如来像*3の胎内からは「治暦二年」(1066年)の紀年銘が記された紙片...

写真提供:海龍王寺
海龍王寺 ( 奈良県 奈良市 )
近鉄奈良線新大宮駅から北西へ1.3km、平城宮跡の北東近くにある。710(和銅3)年、平城遷都の際、藤原不比等がこの地を土師氏から譲り受け邸宅を構え、北東隅にあった堂宇を引き継いだのが前身といわれる。731(天平3)年に藤原不比等の娘である光明皇后がこの地を皇后宮とし、伽藍を整備した上で、唐から帰朝した玄昉*1を住持に任じ開基とし...

石上神宮 ( 奈良県 天理市 )
JR桜井線(万葉まほろば線)・近鉄天理線天理駅から東へ約2km、布留山(ふるやま・標高266m)の北西麓の高台にある。境内は、深い社叢に包まれ、山の辺の道の散策の北の起点にもなっている。「古事記」*1によると、神武天皇は東征の折、熊野で危機に陥ったが、高倉下(たかくらじ。人の名)が建御雷神(武甕雷神。たけみかづちのかみ)に下...

写真提供:長岳寺
長岳寺 ( 奈良県 天理市 )
JR桜井線(万葉まほろば線)柳本駅から東へ約1.5km。山の辺の道の途中、龍王山(標高585m)の山裾にあり、古い大きな山門を入ると参道がつづく。824(天長元)年、空海の開基と伝えられ、大和神社の神宮寺であったともいわれる。寺が盛んだったころは、愛染堂、御影堂などの堂宇のほか、僧坊が42を数えるほどの大寺であったが、たびたびの兵...

天河大辨財天社 ( 奈良県 天川村 )
近鉄吉野線下市口駅から南へ約26km、天(てん)ノ川の流れに近く、山を背に社殿がある。創建については確かなことは不詳だが、同社の縁起によれば、7世紀後半に現れた修験道の祖、役行者*1が感得した辨財天を弥山*2(標高1,895m 大峰山の峰のひとつ)に祀ったのが始まりだという。現在も弥山山頂には奥宮が祀られている。また、弘仁年間(81...

慈光院 ( 奈良県 大和郡山市 )
JR関西本線(大和路線)大和小泉駅から北へ約1.5km、南流する富雄川(とみおがわ)の西の小丘にある。1663(寛文3)年に、石州流茶道の祖である小泉藩主片桐貞昌*1が父の菩提を弔うため建立*2した。あられ石の参道を通り、楼門を越えると、茅葺農家風の書院が現われる。簡素な書院*3は1664(寛文4)年に建てられたもので、12畳の主室ほか数室...

写真提供:パーソナル企画
金剛山寺(矢田寺) ( 奈良県 大和郡山市 )
近鉄橿原線郡山駅から西へ約4km、矢田丘陵の中腹にあり、矢田寺の名で知られる。「矢田地蔵縁起」*1の詞書では673(天武天皇2)年、入唐して玄奘から「唯識」(法相宗の仏教思想)を学んだと言われる智通が勅願により開基したと伝え、十一面観音を本尊とした。平安期に入り、中興の祖・満米(まんまい)上人によって地蔵菩薩を本尊とし、「矢...

長弓寺 ( 奈良県 生駒市 )
近鉄けいはんな線学研北生駒駅から南へ約1.4km、近鉄奈良線富雄駅から北へ約3.4kmのところにある。富雄川沿いの高山街道を北上した静かな山懐にある。創建には諸説*1あるが、寺伝によると、鳥見(とみ)郷の名族小野真弓長弓(おののまゆみたけゆみ)が聖武天皇に供して狩りをした際、世嗣長麻呂の流れ矢にあたって死去したため、その死を哀...

写真提供:パーソナル企画
寳山寺 ( 奈良県 生駒市 )
近鉄奈良線・けいはんな線生駒駅の駅前にある生駒ケーブル線鳥居前駅から5分、宝山寺駅下車。生駒山の東側中腹にあり、「生駒の聖天(しょうてん)さん」の名で親しまれている。役行者(えんのぎょうじゃ)および空海の修行場*1と伝えられ、古来から弥勒菩薩の浄土とも考えられていたこの地に1678(延宝6)年、宝山湛海*2が歓喜天*3を祀り、当...

山田寺跡 ( 奈良県 桜井市 )
JR桜井線(万葉まほろば線)・近鉄大阪線桜井駅から南へ約4.5km。641(舒明天皇13)年に蘇我倉山田石川麻呂*1が氏寺として造営をはじめた寺で、643(皇極天皇2)年には金堂が建立された。しかし、649(大化5)年に石川麻呂は反乱の疑いをかけられ自害したため、造営は中断した。その後疑いが晴れ、663(天智天皇2)年には堂塔の建立が再開さ...

写真提供:長谷寺
長谷寺 ( 奈良県 桜井市 )
近鉄大阪線長谷寺駅から長谷寺の門前まで北東へ約1.2km。初瀬山*1の山麓から中腹に大伽藍を構えている。真言宗豊山派の総本山で、西国三十三所観音霊場の第8番札所。ボタンや紅葉*2などの名所としても知られ「花の御寺」の異名をもつ。 境内には本堂*3を中心に五重塔、大講堂*4などの堂塔が建つ。初瀬山の中腹に位置する本堂へは、山麓の...

写真提供:大神神社
大神神社 ( 奈良県 桜井市 )
JR桜井線(万葉まほろば線)三輪駅のすぐ北側に参道があり、東へ約300mほどで二の鳥居*1がある。大神神社は祭神の大物主大神*2(おおものぬしのおおかみ)が三輪山*3(標高467m)に鎮まるために、古来、本殿を設けずに直接、山に祈りを捧げるという原初的な信仰形態を遺している神社で、延喜式内の大社のなかでもっとも古い神社の一つとされ...

写真提供:パーソナル企画
談山神社 ( 奈良県 桜井市 )
JR桜井線(万葉まほろば線)・近鉄大阪線桜井駅から南へ約8km。桜井市の南、峰々を重ねた多武峰*1の山中に十三重塔*2を中心に本殿*3や拝殿、権殿*4、総社本殿など大小さまざまの社殿が配置されている。一ノ鳥居から社殿下の摩尼輪塔*5まで1丁ごとに丁石が立ち、建物の多くが桧皮葺の屋根、朱に彩られ、春は約500本のサクラ、秋は約3,000本も...

写真提供:聖林寺(写真:松村芳治)
聖林寺 ( 奈良県 桜井市 )
JR桜井線(万葉まほろば線)・近鉄大阪線桜井駅から南へ約2.5kmの多武峰を背にした高台にある。創建は定かではないが、寺伝では、藤原鎌足の長子定慧*1が開山したといわれる多武峯妙楽寺*2の別院として和銅年間(708~715年)に開創されたと伝えられている。もとは「遍照院」と称したが、享保年間(1716~1736年)に妙楽寺の僧子暁によって「...

写真提供:安倍文殊院
安倍文殊院 ( 奈良県 桜井市 )
JR桜井線(万葉まほろば線)・近鉄大阪線桜井駅から南へ約1.5kmのところにある。大化の改新に際し、中大兄皇子(天智天皇)を支え、その後も右大臣蘇我倉山田石川麻呂とともに左大臣として朝廷の中枢にいた阿倍倉梯麻呂*1が崇敬寺(そうきょうじ)と称し創建されたと伝えられる。創建時は、現在地より南西にあったとされ、現在はその地は安倍...

南法華寺(壷阪寺) ( 奈良県 高取町 )
近鉄吉野線壺阪山駅から南東へ約4km、高取山(標高584m、高取城跡*1)の中腹にある。正しくは南法華寺だが、壷阪寺の名で知られる。西国三十三所第6番札所として眼病に霊験があるという十一面観音像を祀る。開創*2は不明な点が多いが、寺伝の「南法花寺古老伝」では、703(大宝3)年に元興寺の僧弁基によるものとされている。847(承知14)年...

写真提供:榮山寺
榮山寺 ( 奈良県 五條市 )
JR和歌山線五条駅から東へ約2km、西流する吉野川のほとりの緑のなかにあり、境内には山門、室町時代に再建され重要文化財の薬師如来坐像*1が祀られている本堂(薬師堂)、その右手奥には国宝の八角円堂が建ち、コンクリート製の鐘楼には平安初期に造られた国宝の梵鐘*2が吊るされている。同寺の創建*3は719(養老3)年、藤原武智麻呂*4による...

写真提供:パーソナル企画
吉野山寺社群 ( 奈良県 吉野町 )
奈良県南部、大峰山脈の北端、南北に約8km続く尾根が吉野山である。一帯には、修験道の根本道場である金峯山寺を中心に多くの社寺がある。 吉野山から山上ヶ岳(大峰山)までの大峰山脈北部の山々は、古くから金峯山(きんぷせん)と呼ばれ、神聖視されていた。伝承によれば、7世紀後半、役行者*1が金峯山で修行中に金剛蔵王権現を感得、...

當麻寺 ( 奈良県 葛城市 )
近鉄南大阪線当麻寺駅から西へ約1km、雄岳(標高517m)と雌岳(標高474m)からなる二上山*1やその東南麓の丸子山*2(標高212m)を背に、堂塔が建ち並ぶ。仁王門(東大門)から入ると、樹間越しに、左手前から奈良時代に造営された東塔、西塔の2基の三重塔*3が垣間見え、正面には国宝の梵鐘*4が吊るされている鐘楼がある。続いて中之坊*5をは...

写真提供:橿原神宮
橿原神宮 ( 奈良県 橿原市 )
近鉄橿原神宮前駅中央口から北西に拝殿まで約1km。畝傍山(うねびやま)の東南麓に約53万m2の広大な神域を有する。本殿・内拝殿・外拝殿など、のびやかで豪壮な社殿が深閑とした森に包まれて建つ。第一代天皇である神武天皇はこの地に橿原宮*1を造営し、辛酉年正月に即位したと「日本書紀」に記されている。その即位の地に、1890...

久米寺 ( 奈良県 橿原市 )
近鉄南大阪線橿原神宮前駅の北西約300mにあり、久米仙人(くめのせんにん)*1ゆかりの寺として知られる。現在、境内には本堂、多宝塔*2、観音堂、御影堂などの堂宇が並ぶ。寺伝では聖徳太子の弟、来目(くめ)皇子の開基とし、久米仙人の創建とも伝えるが、創立の経緯*3は明らかでない。しかし、多宝塔の南に残る奈良時代の塔の礎石群や出土...

写真提供:パーソナル企画
室生寺 ( 奈良県 宇陀市 )
近鉄大阪線室生口大野駅から南へ約6.5km、室生川の上流の山間にある。室生川にかかった朱塗りの太鼓橋を渡り、「女人高野室生寺」の石柱が立つ門前を右折して進めば、左手に寳物殿*1が見え仁王門となる。これをくぐり参道を直進し左に折れ、鎧坂の石段を登れば弥勒堂*2と金堂(国宝)*3が並び、一段上がると伽藍の中心となる国宝の本堂(灌頂堂...

宇太水分神社 ( 奈良県 宇陀市 )
近鉄大阪線榛原駅から南へ約7.5km、芳野川(ほうのがわ)の河畔から参道がつづき、緑豊かな社叢に包まれるように建つのが宇太水分神社。延喜式の式内社の大和四水分社*1の一つとされ、水源を象徴し、水を分配する水神・天之水分神と、速秋津彦命、国之水分神の3柱を祀っている。創建は不詳だが、崇神天皇の勅命によって祀られたとも言い伝え...

写真提供:一般財団法人奈良県ビジターズビューロー(写真:矢野建彦)
大峯山寺 ( 奈良県 天川村 )
紀伊半島の中央部、南北50kmにわたって標高1,000~1,900m級の峰が連なっている大峰山脈。その北部の主峰・山上ヶ岳(標高1,719m)の山頂に大峯山寺はある。修験道の根本道場であり、古来、多くの修験者や信者を迎えてきた。7世紀後半に役行者*1が金峯山(大峰山脈北端の吉野山から山上ヶ岳までの一帯)で修行中に金剛蔵王権現を感得、その御...

写真提供:パーソナル企画
金峯山寺 ( 奈良県 吉野町 )
金峯山寺は修験道の根本道場で、吉野山はこの寺を中心に発展してきた。伝承によれば、7世紀後半、役行者*1が金峯山(吉野山から山上ヶ岳〈大峰山〉にかけての山々)で修行中に金剛蔵王権現を感得、その姿を桜の木に刻んで、山上(山上ヶ岳)と山下(吉野山)に堂を建てて祀った。これが金峯山寺の始まりとされ、山上の蔵王堂が現在の大峯山寺...

写真提供:パーソナル企画
吉野水分神社 ( 奈良県 吉野町 )
吉野山の上千本にある古社。近鉄吉野駅前の千本口駅からロープウェイで3分の吉野山駅下車、そこから吉野山の尾根道を3kmほど上った所に位置する。水の分配を司る天之水分大神を主祭神とし、ほかに玉依姫命(神像の玉依姫命坐像*1は国宝)らを祀る。子守宮とも呼ばれ、安産・子授け・子どもの守護神として信仰されている。創建年代は定かでは...

如意輪寺 ( 奈良県 吉野町 )
近鉄吉野線吉野駅前の千本口駅からロープウェイに乗り、約3分で吉野山駅に着く。吉野山駅からは3kmほど。近鉄吉野駅からは、県道37号線で約4km。金峯山寺や吉水神社などがある尾根筋とは沢を挟み、北東方向の尾根筋の中腹にある。 創建は、寺伝によれば、延喜年間(901~923年)醍醐天皇が帰依していたという日蔵(道賢)*1を開基とし、古...

玉置神社 ( 奈良県 十津川村 )
奈良、和歌山、三重3県の県境近く、大峰山脈の南端に位置する標高1,076mの玉置山の山頂近くに鎮座している。創建は、社伝*1では紀元前37年の崇神天皇の時代と伝えているが不詳。ただ、古くより熊野から吉野に至る熊野・大峰修験の行場*2の一つとされ、平安時代には神仏混淆となり玉置三所権現と称し崇敬を集め、修験道の霊場*3として社殿な...

写真提供:丹生川上神社(中社)
丹生川上神社(中社) ( 奈良県 東吉野村 )
近鉄吉野線大和上市駅から東へ約21km(または近鉄大阪線榛原駅から南へ約21km)、吉野川の支流高見川沿いの谷あいを遡った、河岸に建つ。境内は、川に沿って細長く、杉の大木に守られるようにして一段高い所に拝殿、その奥に本殿、東殿・西殿などの社殿が並ぶ。本殿、東殿・西殿は江戸末期に造替したもの。殿内収蔵の平安時代後期~鎌倉時代...

法輪寺 ( 奈良県 斑鳩町 )
JR関西本線(大和路線)法隆寺駅から北へ2.6km、法隆寺から北へ1.5kmほどのところにある。法琳寺あるいは三(御)井寺(みいのてら)とも称された。創建には2説が伝えられている。一つは、670(天智天皇9)年の斑鳩寺(法隆寺)焼失後、3人の高僧が合力して造寺したとする説*1。もう一つは622(推古天皇30)年に聖徳太子の長子、山背大兄王が...

根來寺 ( 和歌山県 岩出市 )
JR阪和線和泉砂川駅から北へ約5km、葛城連峰の南麓に広大な境内を有するのが根來寺である。新義真言宗の総本山で、大伝法院と称した。二方に山を負い、約119万m2の寺域の中に大伝法堂はじめ大塔(多宝塔)・大師堂・本坊・光明殿・行者堂・聖天堂などが立つ。本坊わき道からひときわ奥まったところには、深い緑におおわれて開祖覚...

丹生都比売神社 ( 和歌山県 かつらぎ町 )
丹生都比売神社は、JR和歌山線笠田駅より南東へ約10kmの山間にある。金剛峯寺と慈尊院を結ぶ町石道の中間地点に位置し、丹生都比売神社の参拝後に高野山へ登ることが慣習とされていた。 主祭神の丹生都比売大神は、天照大神の妹神で高野山の地主神であり、空海に伽藍の土地を譲り、高野山の総鎮守になったとされる。丹生都比売は、古来魔...

紀伊国分寺跡 ( 和歌山県 紀の川市 )
紀伊国分寺跡はJR和歌山線下井阪駅より北へ約850mに位置する。 紀伊国分寺は、聖武天皇が741(天平13)年に発した「国分寺建立の詔」により全国68か国に設置された僧寺の一つで、756(天平勝宝8)年には寺院としての形態を整えていたと考えられる。2町四方(約218m四方)の寺域を有し、塔や金堂、講堂などの伽藍が整備された。塔跡には...

粉河寺 ( 和歌山県 紀の川市 )
JR和歌山線粉河駅から北へ約1km、門前町を15分ほど歩いたところにある。奈良時代末、770(宝亀元)年の開創と伝えられ、中世には高野山・根来寺に次ぐ僧兵を抱え、堂宇550、寺領四万余石を有して隆盛を極めたという。1585(天正13)年、羽柴秀吉の紀州攻めにあって堂塔を焼失したが、後に江戸時代に紀州徳川家の援助を受けて再興した。 鮮...

写真提供:丹生官省符神社
丹生官省符神社 ( 和歌山県 九度山町 )
南海電鉄高野線九度山駅から西へ約1.9km、神社の創建と同時期に建立された慈尊院背後の石段を登った山の中腹、足下に紀ノ川を望む地にある。慈尊院の鎮守で、神仏混淆の時代には神社を合わせて慈尊院といった。 空海が行脚の途中で一人の猟師と出会い、猟師の従えていた2頭の犬が高野山に導いた。その猟師を地主神が猟師に姿を変えたもの...

奥之院 ( 和歌山県 高野町 )
高野山奥之院は、高野山の山上東端に位置し、弘法大師・空海の御廟と、その参道の入口である一の橋から東へ広がる一帯を指す。一の橋から廟前までの約2kmの参道には、杉や檜がうっそうと茂り、両側には20万基を超える墓石*1が並んでいる。大きいものは高さ10mにも達する江戸時代各大名の巨大な五輪塔で、ほかにも位牌、方柱、宝篋印塔、無縫...

高野山 ( 和歌山県 高野町 )
高野山は、紀伊山地の南端に位置する山岳地帯であり、標高は約900mに達する。和歌山市から東へ約50km、大阪市から南へ約80kmの山上盆地に広がる高野山には、南北約3km、東西約6kmの範囲に多くの寺院や修行場が点在しており、日本の仏教文化を象徴する場所の一つで、最も重要な聖地の一つとして知られている。行政区としては高野町に位置付け...

金剛三昧院 ( 和歌山県 高野町 )
金剛三昧院は高野山金剛峯寺から徒歩10分、小田原通りから南へ入った閑寂な地にある。1211(建暦元)年に鎌倉幕府初代将軍・源頼朝公の菩提を弔うために、その妻で尼将軍としても名高い、鎌倉二位禅尼・北条政子が創建した。開山に日本臨済宗の開祖である、明庵栄西禅師を請じ入れ、もとは禅定院と称したが、源実朝の死を悼んで堂塔を興し、...

金剛峯寺 ( 和歌山県 高野町 )
和歌山市から東へ約50km、大阪市から南へ約80kmの山上盆地に広がる高野山のほぼ中央に位置するのが、3,600寺を有する高野山真言宗の総本山、金剛峯寺である。真言宗の宗祖空海・弘法大師が、ここに伽藍を建立して以来1200年あまり、幾度かの浮沈の波を乗り越えて法燈を守り、宗派を越えた霊場として今日に至っている。 高野山は「一山境内...

写真提供:慈尊院
慈尊院 ( 和歌山県 高野町 )
慈尊院は南海電鉄高野線九度山駅から西へ約1.5km、雨引山の北東麓、 紀ノ川沿いにある。高野山真言宗のお寺、女人高野 慈尊院は、816(弘仁7)年、 空海が高野山を開くのに際し山麓の寺務所として建立したもので、高野山表街道の入口にあたる。空海の母阿刀氏がわが子を慕ってやってきたが、当時高野山は女人禁制のため麓にあるこの政所に住...

壇上伽藍 ( 和歌山県 高野町 )
壇上伽藍は高野山のほぼ中央部に建ち並ぶ堂塔群で、奥之院と並ぶ高野山の聖地であり、真言密教修禅の場である。19棟の堂塔で構成され、広さは約5万5千m2にも及ぶ。高野山における壇上とは、大日如来が鎮座する壇、もしくは道場を意味する。伽藍とは仏塔を中心とした僧房などを配置した場所のことである。 壇上伽藍の歴史は古く...

神倉神社 ( 和歌山県 新宮市 )
神倉神社はJR紀勢本線新宮駅の南西約1km、熊野川の右岸の神倉山にある熊野速玉大社の摂社である。権現山の南側のおよそ100mの高さの断崖絶壁にある。源頼朝の寄進による参道の石段は538段あり、かなりの急勾配で登りにくい。山上の社殿裏にはゴトビキ岩*と呼ばれる磐座(いわくら)が鎮座し、神社のご神体となっている。ここは熊野三所大神...

熊野速玉大社 ( 和歌山県 新宮市 )
熊野速玉大社はJR紀伊本線新宮駅の北西約1km、熊野川が急に蛇行して熊野灘にそそぐ河口近くに鎮座する。主祭神の熊野速玉大神は伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、熊野夫須美大神は伊邪那美神(いざなみのみこと)であり、夫婦神である。熊野三山の中で最も多い18柱の神々を祀っている。祭祀の起源は神倉神社のゴトビキ岩とする説があり、神倉...

熊野本宮大社 ( 和歌山県 田辺市 )
熊野本宮大社は南紀白浜空港から北東に約60km、JR紀伊本線新宮駅から北西に約35km、紀伊半島南部の山中に位置する。日本全国に4,700社あまり散在する熊野神社の総本宮で、熊野大権現として広く世に知られている。主祭神には、家津美御子大神(スサノオノミコト)*を祀っている。古くは熊野坐神社といい、延喜式神名帳には名神大社として記載...

熊野三山 ( 和歌山県 田辺市 / 和歌山県 新宮市 / 和歌山県 那智勝浦町 )
熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社、那智山青岸渡寺を総称して熊野三山と呼ぶ。修験道の拠点である「吉野・大峰」と真言密教の根本道場の「高野山」が参詣道で結ばれ、この三霊場を取り巻く一帯が、ユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」*1として2004年7月に登録された。紀伊半島南部一帯を指す「熊野」の語源は「こもりく...

熊野那智大社 ( 和歌山県 田辺市 )
熊野那智大社は、熊野速玉大社から南西に約22km、JR紀伊本線那智駅から北西に約8km、那智山の中腹、標高500mの地点にある。熊野速玉大社・熊野本宮大社とともに熊野三山の一社に数えられる当社は、463段の石段を登った先の社殿6棟に、熊野夫須美大神(イザナミノミコト)を主祭神として合計十三所の神々が祀られている。 那智の名が文献に...

青岸渡寺 ( 和歌山県 那智勝浦町 )
青岸渡寺はJR紀伊本線那智駅から北西に約9km、那智山の中腹に熊野那智大社と並ぶ天台宗の寺院であり、西国三十三所第一番の札所である。ユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」*1として2004年7月に登録された。 仁徳天皇のころ、インドから熊野に流れついた裸形上人が、那智の滝壷から見つけた観音像を安置して草堂を開いたのがそ...
道成寺 ( 和歌山県 日高川町 )
JR紀勢本線道成寺駅から北へ約250mの御坊市と日高川町の町境にある。道成寺の創建は、701(大宝元)年に文武天皇の勅願によって紀道成が建立したと伝える。寺伝によれば、この地は文武天皇の妃藤原宮子が生まれた土地であるとされ、創建にまつわる「髪長姫」の説話が残っている。熊野詣の順路にあたるため、古くから参詣者が多く、全盛期に荘...
紀州東照宮 ( 和歌山県 和歌山市 )
紀州東照宮はJR紀伊本線紀三井寺駅より西へ約2km、和歌の浦の北部、天神山の林の中にある。祭神は徳川家康とその10男で紀州徳川家初代藩主の徳川頼宣である。1621(元和7)年に頼宣が家康を祭るために建てたもので、関西日光とも呼ばれ、「権現さん」の名でも親しまれている。参道両側には石灯篭が並び、侍坂と呼ぶ108段の急な石段を登り楼門...
紀三井寺 ( 和歌山県 和歌山市 )
紀三井寺は紀勢本線紀三井寺駅の南方約600m、名草山の中腹にある。正式名称は紀三井山金剛宝寺護国院(きみいさんこんごうほうじごこくいん)という。通称紀三井寺と呼ばれるのは、寺の周囲に吉祥水・楊柳水・清浄水の3つの井戸があるので三井寺の名が生まれ、近江の三井寺と区別するため紀の字をつけたとされる。 開基は770(宝亀元)年...
日前神宮・國懸神宮 ( 和歌山県 和歌山市 )
JR和歌山駅から南東へ約1.5km、和歌山電鐵貴志川線日前宮駅の北100mにある。同一の境内に日前神宮・國懸神宮の2つの神社がある二社一体の大社で、総称して日前宮(にちぜんぐう)あるいは名草宮とも呼ばれる。御神体は日像鏡(ひがたのかがみ)と日矛鏡(ひぼこのかがみ)で、天孫降臨の際、三種の神器とともにそえられ、神武天皇東征の後、...
和歌浦天満宮 ( 和歌山県 和歌山市 )
和歌浦天満宮はJR紀勢本線紀三井寺駅から西へ約2.5km、紀州東照宮の西隣、標高約93mの天神山の中腹にある。学問の神様・菅原道真を祀り、和歌浦一円の氏神としても尊崇されている。 菅原道真が大宰府に左遷されるときに和歌浦に船を停泊させたと言われ、康保年間(964~968年)に参議橘直幹が大宰府からの帰途にこの地に立ち寄り社殿を建...

鞆淵八幡神社 ( 和歌山県 紀の川市 )
JR和歌山線笠田駅から南へ約13km、真国川(鞆淵川)北岸の幽邃の地にある。御祭神は応神天皇・仲哀天皇・比売大神。創建は定かでないが、平安時代の1008(寛弘5)年には、すでに京都の石清水八幡宮の領地であり、鞆淵荘16ヶ村の産土神でもあった。平安時代後期に制作された現存する日本最古のもので国宝に指定されている神輿(しんよ)は、鎌...
三徳山三佛寺 ( 鳥取県 三朝町 )
三徳山三佛寺(みとくさんさんぶつじ)は、鳥取県東伯郡三朝町の三徳山にある天台宗の仏教寺院。三徳川の渓谷に沿った樹林の中を、三朝温泉からバス15分、倉吉駅からバス40分で到達する。 760(慶雲3)年に役行者*が開山したとされる。849(嘉祥2)年、慈覚大師円仁により阿弥陀・釈迦・大日の三つの仏が安置されたことから三佛寺と呼ば...
写真提供:鳥取県
大山寺 ( 鳥取県 大山町 )
大山寺は鳥取県西伯郡大山町、伯耆大山の北西斜面にある天台宗別格本山の寺であり、高野山金剛寺・比叡山延暦寺と並ぶ著名な山岳寺院である。米子道米子ICより県道24号線(大山観光道路)経由、大山寺集落・ナショナルパークセンター駐車場まで約15分。ここは博労座と呼ばれ、昭和初期まで牛馬市が立っていた歴史がある。ここから大山寺参道...
一ノ宮倭文神社 ( 鳥取県 湯梨浜町 )
一ノ宮倭文(しとり)神社は湯梨浜町の東郷湖の東岸、御冠山(みかんむりやま)に鎮座する神社であり、JR山陰本線・松崎駅から車で10分に位置している。倭文(しとり)は「しつおり(倭文織)」という古代の織物の一種のことで、社伝によれば、この織物の産地であったこの地方にちなんで機織りの神である建葉槌命(たけはづちのみこと)を祀...

写真提供:観音院
観音院 ( 鳥取県 上町 )
補陀洛山慈眼寺観音院(ふだらくさんじげんじかんのんいん)は、多くの社寺が集積している鳥取市の北東丘陵地にある天台宗の寺である。JR鳥取駅から東に1.6kmに位置する。境内にある日本庭園が江戸時代初期を代表する名園、観音院庭園として知られている。観音院は1632(寛永9)年の池田光仲の国替えに伴い雲京山観音寺として栗谷に建立され...
写真提供:鳥取県
大神山神社 ( 鳥取県 大山町 )
大神山神社は大国主命*を祀っており、本社は鳥取県米子市尾高、米子市街地から東に6kmほどの地にある。奥宮は鳥取県西伯郡大山町、伯耆大山の北西斜面の大山寺境内から奥宮参道を700m上がった標高900mの山麓にある。 大山は奈良時代に編纂された出雲国風土記には大神岳(おおかみのたけ)と記されているように古くから山岳信仰の対象で、...
鳥取東照宮 ( 鳥取県 鳥取市 )
鳥取東照宮は鳥取駅の北東に位置し、車で10分、路線バス15分で到達する。鳥取東照宮はその名前のとおり、日光東照宮の分霊である因幡東照宮として1650(慶安3)年に建立された。 鳥取藩を代々率いた池田家は徳川家康の信任が厚く、また、初代藩主池田光仲は家康の曾孫であったことから分霊が許されたのである。造営には日光東照宮を手が...

太皷谷稲成神社 ( 島根県 津和野町 )
城山の北中腹にある。1773(安永2)年、亀井7代藩主矩貞(のりさだ)が城の鎮護と藩民の安穏を祈願するため、京都の伏見稲荷を勧請したもので、日本五代稲荷の一つ。西日本では九州の祐徳稲荷と並んで信仰が厚い。 参道にトンネルのごとく立ち並ぶ朱の鳥居や荘厳華麗な朱塗の社殿にその繁盛ぶりを見ることができる。境内にはこのほか参集...

写真提供:物部神社
物部神社 ( 島根県 大田市 )
JR大田市駅から南へおよそ5km。平安時代の法令集「延喜式」に記載のある式内社で、古来より文武両道の神・鎮魂の神・勝運の神と知られ、石見国一の宮として崇敬されてきた。古代の大氏族物部(もののべ)氏*がこの地方を開拓の折、祖神を祭ったのが起こりと伝えられ、御祭神の宇摩志麻遅命(うましまじのみこと)は、古くの大豪族で大和朝廷...

写真提供:西村愛
八重垣神社 ( 島根県 松江市 )
JR松江駅から南へ約4km。素盞嗚尊(すさのおのみこと)が八俣遠呂智(八岐大蛇)*を退治した後、須賀(現在の須我神社*)の地に至り、「私の心はすがすがしくなった」と述べ、その地に宮を建てた時にそこから雲が立ち上った。その時に歌った歌、「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」(1番歌)を社号の由来とする...

写真提供:西村愛
月照寺 ( 島根県 松江市 )
松江城の西に位置し、松江松平家の初代藩主である松平直政が母月照院の冥福を祈って1664(寛文4)年に建立し、以後松平氏の菩提寺となった。境内には多数の燈篭を従えた歴代藩主の廟が並んでいる。特に、小林如泥(こばやしじょでい)作の松江藩7代藩主である不昧(ふまい)公の廟門をはじめ、すぐれた廟門建築が見られる。 不昧公は木工...

写真提供:しまね観光ナビ
熊野大社 ( 島根県 松江市 )
JR松江駅から南へ約10km、意宇(いう)川の左岸、山を背にして社殿が立つ。『出雲國風土記』733(天平5)年に熊野大社、『延喜式神名帳』927(延長5)年に熊野坐神社とあり、日本火出初神社(ひのもとひでぞめのやしろ)とも称され、古来、杵築大社(出雲大社)と並んで出雲の國の大社と遇された。 朝廷の尊崇が極めて篤く、851(仁壽元...

写真提供:西村愛
美保神社 ( 島根県 松江市 )
島根半島の東、美保関港を目の前にする山麓にある。創建は未詳だが、「出雲国風土記」(733(天平5)年)に記載のある古社。事代主神(ことしろぬしのかみ)の総本宮で、母神である三穂津姫命(みほつひめのみこと)をともに祀る。事代主神(ことしろぬしのかみ)は大国主命の第一子といい、えびす様の名で知られ、漁業及び海上安全の神とし...

写真提供:宗教法人佐太神社
佐太神社 ( 島根県 松江市 )
地誌『出雲国風土記』に「佐太大神社(さだおおかみのやしろ)」と記載され、出雲国二ノ宮として、また出雲国三大社として讃えられてきた神社である。大社造りの本殿3殿並立の形は平安時代の末頃に遡るとされ、現在の本殿は文化4年に建て替えられたもの。正中殿の規模は正面・側面ともに約5.5mで、大社造りの中でも出雲大社に次ぎ、国宝の神...

写真提供:しまね観光ナビ
出雲大社 ( 島根県 出雲市 )
出雲平野の西北端、島根半島の脊稜山地を背にする地にある。 創建は、『古事記』や『日本書紀』によると、神代、天孫降臨に際し、大国主大神が国土を譲られたのを喜ばれた天照大神が、大国主大神のために広大な宮殿「天日隅宮(あめのひすみのみや)」を建てたのに始まるという。この折、祭祀を司ったのが天照大神の第2子天穂日命(あめのほ...

写真提供:西村愛
日御碕神社 ( 島根県 出雲市 )
島根半島の西部、小島・岩礁が散在し変化に富んだ海岸線が特徴的で、稲佐浜から日御碕へつづく日御碕海岸*にあり、傾斜地を利用して権現造の社殿が立つ。朱塗の楼門をくぐると、正面に下の宮と呼ばれる日沉宮(ひしずみのみや)、右手上に上の宮と呼ばれる神の宮が鎮座するが、古く下の宮は海岸の「清江の浜」の経島(ふみしま)に、上の宮...

写真提供:一畑薬師
一畑薬師(一畑寺) ( 島根県 出雲市 )
島根県を代表する臨済宗の寺で、一畑薬師信仰の総本山でもある。島根半島の中央、標高200mの山上に位置する。松江と出雲から車で約30分。西暦894(寛平6)年、漁夫与市が日本海中から薬師如来を得たところ、夢のお告げにより盲目の母親の目が開かれたため、仏像をこの地にまつったのが寺の始まりである。「目のやくし」として信仰を集める他...

写真提供:しまね観光ナビ
鰐淵寺 ( 島根県 出雲市 )
一畑電鉄雲州平田駅から西へ約7km、島根半島西側の北山山中にある。 594(推古2)年創建の天台宗の名刹。平安時代末期に修験道の霊地として全国に知られ、多数の堂塔を擁した。14世紀にはそれまで北院・南院に分かれていた寺内が和合・統一し、根本堂が創建された。 また、出雲大社の祭事において鰐淵寺僧が大般若経転読(だいはんにゃ...

写真提供:西村愛
萬福寺 ( 島根県 益田市 )
JR益田駅の東約2km、益田川の北畔にある。もとは現在の中須町(なかずちょう)にあって平安時代に建立され、安福寺と号した七堂伽藍をかねそなえた天台宗の大寺であった。1026(万寿3)年5月に石見地方を襲った大津波で、堂塔がことごとく流失した。その後、1319(元応1)年、遊行4代呑海上人(どんかいしょうにん)が下向のおり、時宗の道場...

写真提供:益田市観光協会
医光寺 ( 島根県 益田市 )
JR益田駅の東約2.5kmに位置する臨済宗東福寺派の寺院だが、もとは崇観寺の塔頭であった。崇観寺の創建は1363(貞治2)年で、室町幕府の保護を受け、また益田氏*の菩提寺として隆盛をきわめた。しかし、戦国の争乱に巻き込まれ、衰退していくことになる。 雪舟*は崇観寺の第5代住職で、文明年間(1469~1486年)に、塔頭のひとつに池泉観...

写真提供:西村愛
玉若酢命神社 ( 島根県 隠岐の島町 )
本土と島後島(隠岐の島町)の玄関口である西郷港から車で5分のところにある。 隠岐の総社として創建された延喜式神名帳に記載の古社。社伝によると景行天皇が皇子を各国に分離した際に隠岐に遣わされた大酢別命の御子が玉若酢命だと伝えられている。宮司を務める億岐家は「隠岐国造」 の家系で、億岐家に保管されている隠岐国駅鈴*と隠...

写真提供:水若酢神社
水若酢神社 ( 島根県 隠岐の島町 )
本土と島後島(隠岐の島町)の玄関口である西郷港から北西へ13km、車で25分の五箇地区にある。 延喜式神名帳に名神大社と記されている隠岐国一宮。祀られている水若酢命は、隠岐の国土開発と日本海鎮護をされた神様だと伝えられている。社伝によると創建は仁徳天皇(在位は5世紀前半ごろ)の時代と言われている。 1795(寛政7)年に再...

写真提供:西村愛
雲樹寺 ( 島根県 安来市 )
JR山陰本線安来駅から南へ約6km、伯太川の右岸近くにある。1322(元亨2)年、後醍醐天皇から「国済」、後村上天皇から「三光」の国師号を授けられた孤峰覚明*によって開かれた。 参道半ばにある四脚門は創建当初のものといわれ、切妻造、本瓦葺。その他の堂宇は江戸後期に焼失し、その後再建された。方丈裏の出雲風禅宗庭園はツツジ・サ...

写真提供:安来清水寺
清水寺 ( 島根県 安来市 )
JR山陰本線安来駅の南東、山腹に広大な境内をもつ。寺伝では、587(用明天皇2)年、尊隆上人が、瑞光を発する十一面観音をこの地に得たのに始まり、597(推古天皇5)年、堂宇が建立されたと伝わる。山上に瑞光が現れ、その光にちなみ山号を「瑞光山」とした。また水清く、聖なる湧水を湛えていたことから「清水寺」と名づけられた。出雲地方...

中山神社 ( 岡山県 津山市 )
JR津山駅から北へ約5kmにある、古くは『延喜式』、『今昔物語』などにもその名を記す美作国一ノ宮。主祭神の鏡作神(かがみつくりのかみ)は、三種の神器の一つ「八咫鏡」を造ったとされる。創建は707(慶雲4)年と伝えられ、もとの社殿は毛利・尼子氏の二度にわたる戦乱で焼失したが、1559(永禄2)年、尼子晴久が美作地方を平定した際に再...

備中国分寺 ( 岡山県 総社市 )
JR吉備線(桃太郎線)・伯備線総社駅から東へ約5km。奈良時代、天平13(741)年の聖武天皇の詔(みことのり)により日本各地に建立された国分寺の一つ。中世に廃寺となり、天正年間(1573~92)に備中高松城主清水宗治(しみず・むねはる)の援助で再興されたという。その後再び衰微したが、江戸時代中期に清水山惣持院住職の増鉄上人が、上...

熊野神社 ( 岡山県 倉敷市 )
瀬戸中央自動車道水島ICから県道21号線を岡山方面に1kmほど、蟻峰山(ぎほうざん)の山裾にある、紀州の熊野権現を勧請したと伝わる古社。近くの五流尊滝院とは明治まで神仏混交で、修験者が奉仕してきた。社伝によれば、修験道の開祖、役小角(えんのおづぬ、役行者ともいう)* が699(文武天皇3)年、呪術で民衆を惑わすという科で伊豆に...

円通寺 ( 岡山県 倉敷市 )
JR新倉敷駅より約4km、倉敷市西部、玉島の小高い丘(白華山)にある曹洞宗の古刹。創建については不詳であるが、同寺の縁起では、奈良時代の僧、行基の開基と伝えられ、「星浦の観音」と呼ばれる霊場であったとされる。本尊は聖観音菩薩。その後、1698(元禄11)年に徳翁良高禅師により再興された。江戸時代後期に、漢詩人・歌人・書家として...

写真提供:誕生寺
誕生寺 ( 岡山県 久米南町 )
JR津山線誕生寺駅の北西700m、法然の生家漆間家の屋敷跡に建つ浄土宗の特別寺院で、山号を栃社(とちこそ)山という。1193(建久4)年、法力坊蓮生(ほうりきぼうれんせい)*が創建した。法然の父、漆間時国(うるま・ときくに)は久米の押領使(おうりょうし)*で、法然が9歳のとき、預所(あずかりどころ)*の明石定明(あかし・さだ...

写真提供:吉備津神社
吉備津神社 ( 岡山県 岡山市 )
岡山市西部、吉備の中山*(標高175m)の西麓に鎮座する。当地を治めたとされる大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)*を主祭神とし、その一族の神々を祀っている。創建時期は不詳だが、927(延長5)年に撰進された延喜式神名帳では、すでに名神大社に列せられていた古社で、吉備国総鎮守として崇敬されてきた。7世紀後半頃、吉備国の三国...

写真提供:最上稲荷山妙教寺
最上稲荷 ( 岡山県 岡山市 )
羽柴(豊臣)秀吉の水攻めで有名な備中高松城址の北、龍王山にある日蓮宗の寺で、正式名称を最上稲荷山妙教寺という。明治の廃仏毀釈を逃れ、寺でありながら鳥居があり、神宮形式をあわせ持つ本殿(霊光殿)など神仏習合時代の形態を現在も残している。 縁起によれば、752(天平勝宝4)年、この地で修行していた報恩大師*に孝謙天皇の病...

写真提供:備前國一宮 吉備津彦神社
吉備津彦神社 ( 岡山県 岡山市 )
JR吉備線(桃太郎線)備前一宮駅からすぐ、岡山市西部、吉備の中山*(標高175m)の北東麓に鎮座する。祭神は当地を治めたとされる大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)*。 中世以後は、戦国大名の赤松氏や宇喜多氏からも尊ばれ、江戸時代になると岡山藩主池田氏の援助で社殿が再建・整備され、1697(元禄10)年には三間社流造・檜皮...
向上寺 ( 広島県 尾道市 )
瀬戸内海に浮かび、尾道と今治を結ぶしまなみ海道が通る生口島の瀬戸田港北側に位置し、山腹の松林に囲まれた中に本堂・三重塔がある。室町時代に名僧 愚中周及*を迎えて開闢(かいびゃく)代、祖としたことに始まる。三重塔は1432(永享4)年の建立。高さ約19m、朱塗りの和様を基調とした唐様を取り入れた建築であり、その特徴は組物に入れ...
西國寺(西国寺) ( 広島県 尾道市 )
JR尾道駅から北東に約2km、愛宕山の山腹に大伽藍が広がる。行基による奈良時代中期の創建と伝えられる古刹で、真言宗醍醐派の大本山。1066(治歴2)年の本堂の炎上により本尊薬師如来も焼滅したが、1081(栄保元)年、白河天皇の勅命により再建され、巨大な伽藍が完成、末寺も百数十を数える大寺となった。伽藍の規模は正に西国一という意味...
浄土寺 ( 広島県 尾道市 )
JR尾道駅から約2km、尾道市街の東端に位置する。創建は古く、616(推古天皇24)年、聖徳太子の開基と伝える古刹。鎌倉時代の終わり、奈良の西大寺の僧、定證上人の発願により再興されるが、火災によりわずか四半世紀で伽藍を焼失。しかしながら、尾道の民衆によって火災の翌年には再建された。室町時代には、足利尊氏が九州平定の際に参詣し...
嚴島神社 ( 広島県 廿日市市 )
嚴島神社は原始林の深い緑を背後にし、入江の海のなかに木造建物が建ち並ぶ日本でも珍しい神社。広島市の中心部から直線距離で約15km南西に位置する厳島に鎮座する。厳島には、宮島口桟橋からフェリーでわたるのが一般的だが、広島市街から高速船も就航している。 厳島は瀬戸内海に浮かぶ島々のなかでも標高約530mとひときわ高い弥山を擁...
千畳閣(豊国神社本殿) ( 広島県 廿日市市 )
千畳閣は、嚴島神社の北東側の高台に位置する。豊臣秀吉が武士の鎮魂のために月に1度の千部経*の転読*供養を行うため、1587(天正15)年に発願し、安国寺恵瓊*に建立を命じた大経堂。島内では最も大きな木造建築物で、畳857畳分の広さがあることから千畳閣と呼ばれてきた。秀吉の死によって工事が中止されたため、天井板や壁は張られず、...
不動院 ( 広島県 広島市 )
広島市街から北に約4km、太田川東畔に位置する。開基は行基とも空窓とも伝えられ、創建年代や由緒は諸説が残るが、本尊薬師如来像の様式から、平安時代には創建されていたと推察されている。足利尊氏・直義兄弟が日本全国に建立した安国寺のひとつ。戦国時代の戦いで伽藍は焼け落ちたが、安土桃山時代、安国寺恵瓊*が豊臣秀吉の時代に再興し...
明王院 ( 広島県 福山市 )
JR福山駅から南西に約3km、芦田川の西岸にあり、眼下に草戸千軒町遺跡*を見渡す真言宗大覚寺派の古刹。もとは常福寺といい、創建は807(大同2)年、弘法大師(空海)の開基と伝えられるが、現在の形を整えたのは鎌倉末期である。江戸時代、水野勝成*が福山藩主として入府してからは、祈願寺として、その庇護を受けて栄えた。 境内には国...

写真提供:大本山 佛通寺
佛通寺 ( 広島県 三原市 )
JR三原駅から北西に約17km、仏通寺川沿いに佇み、周囲の自然環境と調和した寺院。日本屈指の参禅道場として知られる臨済宗佛通寺派の大本山。1397(応永4)年、小早川春平*が名僧 愚中周及*を迎えて創建した。小早川一族の帰依を受け、最盛期には山内に88寺、西日本に約3,000寺を数えたが、応仁の乱後、幾多の興亡の歴史を経て現在に至る。...
赤間神宮 ( 山口県 下関市 )
JR山陽本線下関駅から海岸沿いに北東へ約3km、関門海峡大橋の手前にある。壇ノ浦の戦い*に敗れ、二位ノ尼に抱かれ8歳で入水した安徳天皇を祀る神社。安徳天皇*はこの地にあった阿弥陀寺境内に埋葬され、1191( 建久2)年には、朝廷の命によって御陵上に御影堂を建立し勅願寺とした。この阿弥陀寺が、明治政府による神仏分離政策によって赤...
東光寺 ( 山口県 萩市 )
JR山陰本線東萩駅から東へ約2kmの道のり、松陰神社の東、東光寺山の麓に寺域が広がっている。萩藩*1の三代藩主毛利吉就が1691(元禄4)年に建立した寺で、萩市街の西にある大照院と並んで毛利氏の菩提寺である。江戸中期の最盛期には堂塔40棟、僧侶80人を数えたというが、明治維新には寺禄を失い、往時の隆盛はない。しかし、黄檗(おうばく...
住吉神社 ( 山口県 下関市 )
JR山陽新幹線・山陽本線新下関駅から南東へ約1.5kmのところにある。伝承では、神功皇后が朝鮮出兵の帰途に神託により、現在地に「荒魂(あらみたま)」を祀ったのが始まりとされ、同様の神意で大阪の住吉大社も祀られたと伝えられている。また、同社は、927(延長5)年に成立した法制書の「延喜式神名帳」では「住吉(に)坐(す)荒御魂神社...
防府天満宮 ( 山口県 防府市 )
JR山陽本線防府駅から北へ1.5kmほどのところにある。同天満宮の縁起では、菅原道真*1が筑紫大宰府への左遷の途中、周防国司で同族の土師氏*2のところに立ち寄ったという因縁を伝え、903(延喜3)年、道真が志半ばで大宰府において亡くなったことを知った国司土師信貞が904(延喜4)年に創建*3したとされていることから、日本最古の天満宮...
常栄寺(雪舟庭) ( 山口県 山口市 )
常栄寺*1はJR山口線山口駅から北東に約3.5kmの道のりのところにある。もともとは、大内政弘*2の別邸で、のちに母妙喜尼の菩提のために寺とし、寺号を妙喜寺とした。当地の支配者の交代に伴い、合寺を重ね寺号も変遷し、1863(文久3)年には毛利氏の菩提寺であった常栄寺と合寺し、明治期に入り常栄寺と号するようになった。 庭園は本堂...
瑠璃光寺五重塔(香山公園) ( 山口県 山口市 )
JR山口線山口駅から北へ道のり約2kmの香山公園内にある。1442(嘉吉2)年、足利義満に敗れ戦死した大内義弘*1の菩提を弔うために、弟の盛見が当時この地にあった香積寺(こうしゃくじ)*2境内に建立したもの。大内氏の盛時を偲ばせる室町中期の優れた建築物である。なお、瑠璃光寺*3は、香積寺が毛利輝元*4の萩入りとともに萩へ五重塔を...
周防国分寺 ( 山口県 防府市 )
JR山陽本線防府駅から北東に約2km、防府平野の北端に建ち、741(天平13)年聖武天皇の勅願によって諸国に建てられた国分寺のひとつ。周防国分寺の創建は不詳だが、756(天平勝宝)年よりはさかのぼるとされている。東南約900mのところには国府跡があり、西側には周防国分尼寺があったと見られる。寺域は200m四方あったとみられ、発掘調査の結...

大照院 ( 山口県 萩市 )
JR山陰本線萩駅から西へ約1kmに位置する臨済宗南禅寺派の寺院。萩藩7代*1にわたる藩主夫妻が墓地に眠ることで名高い。 1651(慶安4)年に亡くなった萩藩初代藩主毛利秀就(ひでなり)*2は、当時歓喜寺*3と呼ばれていた当寺に葬られた。2代藩主綱広(つなひろ)は父の菩提を弔うため寺の改築を始め、1656(明暦2)年に完工。亡き父の法...
箸蔵寺 ( 徳島県 三好市 )
JR土讃線阿波池田駅から北東4kmほどに箸蔵寺がある。吉野川北岸にそびえる箸蔵山(約720m)の南斜面、中腹から山頂付近を占める広大な寺域である。 高野山金剛峰寺の『由来略記』によれば、828(天長5)年、当山で修行中の空海が金毘羅神からの託宣*を受けて七堂伽藍を建立したと伝え、俗に金刀比羅奥ノ院ともいう。慶長年間(1596~1615...

写真提供:雲辺寺
雲辺寺 ( 徳島県 三好市 )
香川県と徳島県の県境、雲辺寺山(標高927m)にある、四国霊場八十八ケ所第66番札所。四国霊場では最も標高が高い。寺の住所は徳島県三好市だが、霊場としては古くから讃岐の打ち始めの札所として扱われ、最後の「関所寺」*である。歩き遍路では一つ前の三角寺(愛媛県四国中央市)から峠を越えて進み、徳島県側から雲辺寺山に登る。次の大...
鶴林寺 ( 徳島県 勝浦町 )
四国八十八か所第20番札所。最寄り駅はJR牟岐線立江駅で南西12km、バスは徳島駅からになる。 生名バス停の南が、鶴林寺参道の入り口で、ここから標高550mの鶴ノ嶽山頂まで急傾斜の山道が3km続く。この道は四国霊場の中でも有名な難所である。参道には、道標の丁石*が11基残っている。車の場合は、鶴林寺表参道入口のすぐ西側からドライブ...
大麻比古神社 ( 徳島県 鳴門市 )
JR高徳線板東駅から徒歩約20分。札所1番の北1.5kmにあり、地元の人びとには”おおあささん”の名で親しまれている阿波一ノ宮である。 『延喜式』式内社であり、かつては淡路国と阿波国の総鎮守として信仰を集めた。祭神は大麻比古大神と猿田彦大神。大麻比古大神は、天照大神の岩戸隠れのとき、サカキの木に玉・鏡・麻をかけて大玉串をつく...

大窪寺 ( 香川県 さぬき市 )
四国霊場八十八ケ所第88番札所、四国遍路を締めくくる結願(けちがん)の寺である。縁起によると、717(霊亀3・養老元)年に行基菩薩がこの地を訪れた際に、霊夢を感得し草庵を建て修行をしたことが起源とされる。その後、816(弘仁7)年に唐から帰国した弘法大師が、現在の奥の院近くの胎蔵ヶ峰という岩窟で虚空蔵求聞持法を修法し堂宇を建...

写真提供:志度寺
志度寺 ( 香川県 さぬき市 )
県東部、道路一本隔てて志度湾に接する四国霊場八十八ケ所第86番札所。625(推古天皇33)年の創建と伝わる古刹で、海洋技能集団海人族の凡園子(おおしそのこ)が浦に流れ着いた霊木から十一面観音像を彫り、堂に祀ったのが始まりとされる。681(天武天皇10)年に藤原不比等が堂宇を増築し、「死渡(しど)道場」と名づけ、693(持統天皇7)...

写真提供:金刀比羅宮
金刀比羅宮 ( 香川県 琴平町 )
古くから「さぬきのこんぴらさん」として親しまれてきた金刀比羅宮は、仲多度郡琴平町の象頭山中腹に鎮座する、全国の金刀比羅神社の総本宮である。参道の長い石段は、本宮まで785段、奥社まで合計すると1,368段にも及ぶ。神域の入口である大門(おおもん)までは石段の両側に土産物店が軒を連ねる。広い境内には本宮のほか書院、旭社、四脚...

屋島寺 ( 香川県 高松市 )
屋島の南嶺(標高293m)にある天平勝宝年間(749~757年)の創建とされる古刹で、四国霊場八十八ケ所第84番札所。朝廷に招かれた鑑真が唐から当時の都、奈良に向かう途中、屋島に立ち寄り、北嶺*の霊地に普賢堂を建てたのがはじまりとされる。815(弘仁6)年には弘法大師が嵯峨天皇の勅願により、北嶺にあった伽藍を南嶺に移し、第84番の霊...

写真提供:八栗寺
八栗寺 ( 香川県 高松市 )
高松市の東方、源平の古戦場、壇ノ浦を挟んで屋島と向かい合う五剣山(標高375m)の中腹にある、四国霊場第85番札所。五剣山にはもともと5つの峰があったが、江戸時代の1706年(宝永3)の大地震で東の峰が一部崩落した。 寺伝によれば、空海がこの地で修行中、天から降ってきた五本の剣を五つの峰に埋め、大日如来の像を刻み鎮護としたこ...

神谷神社 ( 香川県 坂出市 )
坂出市の東部、高松市との境界に位置する五色台の麓にあり、延喜式にも記載がある古社である。本殿は高さ1.5mほどの石積みの基壇の上に立ち、桁行3間、梁行2間の母屋から庇(向拝)を前方に伸ばしている。棟木(むなぎ)に書かれた墨書銘から1219(建保7)年の建立であり、造営年の明らかな神社建築では日本最古であり、国宝に指定されている...

白峯寺 ( 香川県 坂出市 )
坂出市の東、高松市に連なる五色台は瀬戸内海国立公園の中に位置し、その名の通り五峯(黄峯・白峯・赤峯・青峯・黒峯)からなり、北は瀬戸内海、南は讃岐平野を望む山々である。白峯寺は西よりの白峯(標高377m)の中腹にある四国霊場八十八ヶ所霊場の第81番札所で、崇徳上皇ゆかりの寺院でもある。 815(弘仁6)年、弘法大師が修行のた...

弥谷寺 ( 香川県 三豊市 )
古来より霊山として信仰された弥谷山(382m)の中腹、標高200mにある四国霊場八十八ケ所第71番札所。仁王門から最上部の本堂までは、540段*の石段を上る。 今からおよそ1300年前、聖武天皇の勅願により、行基が堂宇を建立し、光明皇后の経典を奉納したのが始まりとされ、山頂から八州が見渡せることから八国寺と命名された。弘法大師が幼...

本山寺 ( 香川県 三豊市 )
財田川の北岸に立つ四国八十八ケ所霊場第70番礼所。807(大同2)年、平城天皇の勅願により空海が建立したと伝えられる。当時は「長福寺」という名で、江戸時代19世紀頃に本山寺と称されるようになった。境内はおよそ2万m2と広大で、古くから七堂伽藍や塔頭を連ねた大寺として栄華を極めていたことが偲ばれる。 本堂は、正面5間...

善通寺 ( 香川県 善通寺市 )
弘法大師空海*誕生の地として知られ、善通寺市のほぼ中央にある。高野山の金剛峯寺、京都の東寺とともに大師三大霊跡のひとつであり、真言宗善通寺派の総本山である。唐から帰朝した空海が、807(大同2) 年長安の青龍寺を模して建立した真言宗最初の根本道場で、空海の父、佐伯善通(さえき・よしみち)の名をとって寺号とした。四国霊場八...

和霊神社・和霊大祭 ( 愛媛県 宇和島市 )
JR宇和島駅の北にあり、大鳥居*と夏祭りで名高い社。俗に「和霊さま」と呼ばれ、漁業を中心に広く産業の神として、地元の人々はもとより、九州・中国地方にまで知られている。祭神の山家清兵衛公頼(やんべせいべえきんより)は、伊達秀宗の家臣で宇和島藩総奉行として藩政改革に尽くしたが、1620(元和6)年政敵の陰謀で殺害された。その後、...

岩屋寺 ( 愛媛県 久万高原町 )
岩屋寺は四国霊場八十八ケ所第45番札所で、創建は815(弘仁6)年といわれている。三宝鳥(さんぽうちょう=コノハヅク)、慈悲声鳥(じひせいちょう=ヤマガラ)、鉦鼓鳥(しょうこちょう=キジバト)、鼓鳥(つづみどり=ホトトギス)、慈悲心鳥(じひしんちょう=ジュウイチ)、鈴鳥(すずどり=キビタキ)、笛鳥(ふえどり=ヒヨドリ)の...

大山祇神社 ( 愛媛県 今治市 )
大山祇神社は天照大神の兄である大山積大神を祀り、全国に一万社余りある山祇神社と三島神社の総本社といわれる愛媛県内最古の神社である。海の神や山の神として古代から日本総鎮守として尊称されており、多くの武将が祈願してきた。 大山祇神社の本殿、拝殿は国の重要文化財に指定され、格式高く、立派で厳かな雰囲気が感じられる。また...

石手寺 ( 愛媛県 松山市 )
石手寺は、四国霊場八十八ケ所第51番札所で、道後温泉から東に約1kmのところにある。 728(神亀5)年、伊予大領越智玉純(おちたまずみ)が国家鎮護の道場として創建した。翌年の729(神亀6・天平元)年には、行基(ぎょうき)が薬師如来を刻んで本尊とした。当時は安養寺(あんようじ)と称し、法相宗に属していたが、のちに弘法大師が訪...

太山寺 ( 愛媛県 松山市 )
太山寺は、四国霊場八十八ケ所第52番札所で、高浜港の東にそびえる経ケ森の中腹にある。 寺の縁起では587(用明2)年、豊後国臼杵(大分県)の真野(まの)長者が商いのために船で大阪に向かう途中、松山沖で海難に遭った際に、観音菩薩に祈って難を逃れられたことから、そのお礼として豊後の工匠を集めて木組みをした建材を松山まで運び...

写真提供:伊佐爾波神社
伊佐爾波神社 ( 愛媛県 松山市 )
伊佐爾波神社は、神功皇后・仲哀天皇が、道後温泉に御来湯の際の行宮跡に建てられたといわれ、延喜年間につくられた延喜式には既に記載が見られる古社で1000年以上前から信仰を集めていたことがうかがえる。一時期は湯月八幡宮とも、さらには道後八幡とも呼ばれていた。現在の社殿に建て替えたのは江戸時代の松山3代藩主、松平定長である。大...

写真提供:伊豫豆比古命神社
伊豫豆比古命神社(通称:椿神社) ( 愛媛県 松山市 )
伊豫豆比古命神社は御創建2000年以上の歴史があり、尊称・敬称も親しく椿神社・お椿さんとも慕われ、商売繁昌・縁起開運の神様として全国から崇敬を寄せられている。特に、旧暦の1月7・8・9日に齋行される椿まつりは、善男善女が参詣される大変賑やかなお祭りである。 椿さんの由来は、神社周辺が昔、海原であり津(海の意)の脇の神社、...

西山興隆寺 ( 愛媛県 西条市 )
西条市丹原の西約3.5kmの山中にあり、養老年間(717~724年)に空鉢(くうばち)仙人が草庵を結んだのに始まり、桓武天皇のときには勅願寺となった。以来、千有余年、東予随一の霊地として信仰を集め、1187(文治3)年、源頼朝の帰依を得て、堂宇が造営されたが、現在の本堂は1375(文中4)年の建立で、石垣上に客殿や三重塔などとともに城の...

伊曽乃神社 ( 愛媛県 西条市 )
JR伊予西条駅から南へ3kmほど、樹齢を経た楠・杉が茂る森の中に神明造の社殿が鎮まる。皇祖天照大御神(あまてらすおおみかみ)と国土開発の祖神である武国凝別命(たけくにこりわけのみこと)をお祀りし、御鎮座から1800有余年という長い歴史を有している。延喜式内の名神大社であり、江戸時代には代々の藩主の崇敬を得た由緒がある。 社...

石鎚神社 ( 愛媛県 西条市 / 愛媛県 久万高原町 )
石鎚神社は日本七霊山の一つ石鎚山を神体山(神しずまります山)とする神社。山麓にたつ口之宮本社(くちのみやほんしゃ)、石鎚山中腹(7合目)の中宮成就社(ちゅうぐうじょうじゅしゃ)と土小屋遥拝殿(つちごやようはいでん)、石鎚山頂の奥宮頂上社(おくのみやちょうじょうしゃ)の4社を総称したものである。 祭神は石鎚毘古命(い...

(金山)出石寺 ( 愛媛県 大洲市 )
大洲市と八幡浜市との境、標高812mの出石山(いずしさん)山頂にあり、石鎚山や大野ヶ原などの四国連山などが一望できる寺院である。境内は豊かな自然林に覆われ、本堂や庫裏、護摩堂、大師堂などが荘厳なたたずまいを見せており、静寂で心休まる雰囲気に包まれている。 本尊である千手千眼観世音菩薩には伝説が残されており、寺伝による...

如法寺 ( 愛媛県 大洲市 )
如法寺は、大洲市冨士山(とみすやま)の中腹にある臨済宗の古刹で、もともと室町時代に喜多郡の領主・宇都宮氏によって創立された寺であった。その後、廃寺となったが、大洲藩2代藩主 加藤泰興(かとうやすおき)の命により開かれた寺院で、1669(寛文9)年、深く帰依した高名な禅僧 盤珪(ばんけい)禅師を招いて如法寺を開山した。当初...
竹林寺 ( 高知県 高知市 )
文殊信仰の霊場である唐の五台山に登って奥義を授かる夢をみた聖武天皇の命により行基が唐の五台山に似た霊地としてここを選び、724(神亀元)年に開創されたと伝わる。大同年間(806~809年)に弘法大師がここで修行したという由縁から、のちに四国霊場第三十一番札所になった。江戸期には土佐藩山内家が代々祈願寺とし、学侶が集まり、近世...

土佐神社 ( 高知県 高知市 )
JR土讃線土佐一宮駅から北へ徒歩15分。県道384号から少し奥まったところに見える門が参道の入口。社殿に向かって真っすぐに伸びる参道の並木、社殿背後の「志那祢(しなね)の森」が神域を縁取り、俗との境界となっている。 勅使の参向を重ねて迎えていた式内社(都佐坐神社)にして、鎌倉時代には神仏習合となり、土佐国総鎮守の一ノ宮と...

金剛頂寺 ( 高知県 室戸市 )
四国八十八ケ所霊場第26番札所。807(大同2)年に平城天皇の命をうけ弘法大師によって創建されたといわれる。室戸三山*において通称「西寺(にしでら)」と呼ばれる。金剛頂寺は、高知市方面から国道55号をバス停元橋西の信号で左折、集落を通って山道を2kmほどのぼった台地にある。 駐車場から33段の女坂、42段の男坂、61段の厄除坂から...
最御崎寺 ( 高知県 室戸市 )
四国八十八ケ所霊場第24番札所。東寺*とも呼ばれる。室戸岬突端部後方の高い位置にあり、室戸市街地方面から室戸岬スカイラインで上っていくと、参拝路入口・駐車場まで行ける。 807(大同2)年の唐から帰国した空海が嵯峨天皇の命で開き、本尊・虚空蔵菩薩は空海作と伝わる。室町時代に足利氏の土佐の祈願所(安国寺)となり、江戸期に...
豊楽寺 ( 高知県 大豊町 )
JR土讃線 大田口駅から徒歩30分。大田山大願院豊楽寺。724(養老8・神亀元)年、行基による創建が伝えられている真言宗寺院。 その薬師如来は国内有数に名高く、四国らしい谷をはさむ急峻な山の中腹にありながら信者参拝を迎えてきた。「柴折薬師(しばおりやくし)」ともよばれる。荒天による大破を被っては長宗我部元親(ちようそかべも...
(土佐)国分寺 ( 高知県 南国市 )
土佐くろしお鉄道阿佐線(ごめん・なはり線)後免(ごめん)駅の北2.5km。高知市内に通じるとさでんバスの最寄りバス停から徒歩20分。 紀貫之*が国司として4年間滞在した国府の地。土佐国分寺は、天平年間(729~749年)に諸国に建てられた国分寺の一つで行基により741(天平13)年創建。本尊は行基作と伝わる千手観音。庭園などに杉苔が...

写真提供:香椎宮
香椎宮 ( 福岡県 福岡市 )
福岡市北東部、香椎に鎮座する神社。筑紫国橿日宮(かしひのみや)で国造りの基礎を築いていた仲哀天皇が、3世紀ごろこの地で亡くなり、祀られたのが起源とされる。のちに神功皇后も合祀、香椎廟と称され、朝廷から格別の待遇を受けた。平安期ごろからは香椎宮とよばれるようになった。 本殿は724(神亀元)年に建立。現在の社殿は1801(...

筥崎宮 ( 福岡県 福岡市 )
筥崎八幡宮とも称され、宇佐、石清水八幡宮とともに、日本三大八幡宮の一つに数えられる。応神天皇が主祭神として祀られており、醍醐天皇が社殿を建立したと伝わる。創建時期は平安時代中頃とされているが諸説ある。 鎌倉時代中期、蒙古襲来(元寇)で勝利を収めたことを機に厄除け、勝運の神として知られるようになる。足利尊氏、大内義...

住吉神社 ( 福岡県 福岡市 )
博多駅の西、徒歩10分ほどの街なかに鎮座する。創立年代は不詳だが、伊弉諾大神(いざなぎおおかみ)にゆかりのある神を祀った神社と伝わる。ここが住吉神社の本社との説もある。御祭神は底筒男神(そこつつのをのみこと)、中筒男神(なかつつのをのみこと)、表筒男神(うわつつのをのみこと)の住吉三神で、航海安全・心身清浄の神とされ...

承天寺 ( 福岡県 福岡市 )
臨済宗東福寺派の寺院で、1242(仁治3)年に謝国明が創建し、開山は後に京都の東福寺を開いた聖一国師による。博多での聖一国師との結びつきから、承天寺は臨済宗東福寺派で中心的役割をなし大いに栄え、盛時には塔頭が43寺もあったと伝わる。第二次世界大戦で山門、勅使門、塔頭二寺を焼失、さらに戦後の都市計画により、境内の規模は大幅に...

英彦山神宮 ( 福岡県 添田町 )
英彦山の山内至る所に社殿が散在している。主な社殿は上宮、中宮、下宮と、奉幣殿および摂社の高住神社や玉屋神社などがあるが、鬱蒼とした杉の長い参道や坊跡に修験道の往時を伝える。参道は銅鳥居(かねのとりい)からはじまり、民家や坊の並ぶ桜並木の石段を500m登ると神宮下。さらに300段の石段を登ると奉幣殿で、そこから上宮までは約2k...

太宰府天満宮 ( 福岡県 太宰府市 )
天満天神といわれ、学問の神菅原道真公*を祀る天満宮の総本宮である。901(延喜元)年、藤原時平に謀られ大宰権帥として大宰府に左遷され、失意のまま2年後にこの地で生涯を終えた道真公の霊を慰めるために建立された。梅の名所としても知られ、西鉄太宰府駅前から続く参道には梅ヶ枝餅を売る茶店が並び、春の初めには境内中の梅が咲きこぼ...

写真提供:太宰府市
観世音寺 ( 福岡県 太宰府市 )
天智天皇が母斉明天皇の冥福を祈るために建立したもので、80年の歳月を費やして、746(天平18)年に完成した。当時は南大門・中門・五重塔・金堂・講堂・鐘楼・経蔵・僧房など七堂伽藍を完備した西日本屈指の寺院であった。しかし、再三の火災・台風で焼亡倒壊し、現存するのは講堂・金堂のみ。ともに入母屋造の本瓦葺き、江戸時代前期ごろに...

宗像大社 ( 福岡県 宗像市 )
天孫降臨のとき、天照大神の神勅により奉斎されたと伝える神社で、天照大神の御子神である3柱の女神を3つの神社に祀る。玄界灘の孤島・沖ノ島には田心姫神を祀る沖津宮が、神湊海岸沖の大島には湍津姫神を祀る中津宮が、そして宗像市田島には市杵島姫神を祀る辺津宮があり、総称して宗像大社という。 全国に散らばる宗像三神を祀る神社の...

篠栗四国八十八カ所 ( 福岡県 篠栗町 )
若杉山の麓に広がる、自然豊かな篠栗。9世紀、唐から帰った弘法大師が修法したとされる地で、古来より山岳信仰や真言密教の聖地と伝えられている。 篠栗四国八十八カ所は、尼僧・慈忍が1834(天保5)年、弘法大師の教えを広めるため四国八十八ケ所の霊場を模擬しようとしたが、途中で挫折。当地の藤木藤助が後を継いで88体の仏像を彫刻し...

高良大社 ( 福岡県 久留米市 )
市の東郊高良山にある。4世紀の創祀と伝え、筑後國一之宮であり古くは九州の宗廟とあがめられた。全国六社のうち九州では一社だけしかない国幣大社*である。 現在の社殿は1660(万治3)年に筑後久留米藩3代藩主・有馬頼利公が造営したもので、天竺様、唐様*、和様を用いた杮(こけら)葺の権現造*。また、山内には孟宗金明竹と呼ばれる...

写真提供:宮地嶽神社
宮地嶽神社 ( 福岡県 福津市 )
神功皇后を主祭神とし、皇后の三韓征伐に随行した勝村・勝頼両大神を併せて宮地嶽三柱大神として祀る、全国宮地嶽神社の総本宮である。開運、商売繁昌の神様として参拝されている。参道から石段を登った高台に鎮座しており、境内神苑には3,000本の桜、ホウキ桃、100種10万株の江戸菖蒲等四季を通じて、楽しめる花が植栽されている。また、本...

多久聖廟 ( 佐賀県 多久市 )
JR多久駅の南4kmにある孔子廟。1699(元禄12)年、多久家4代茂文が東原庠舎を建てて孔子と四哲(四配)の像を祭り、1708(宝永5)年の完成を待って聖廟にこれらの像を移した。廟は朱塗で屋根は入母屋造、正面に唐破風の向拝をつけている。内外に動植物の彫刻を施した壮麗な建物で、中国様式を取り入れた日本建築である。

写真提供:祐徳稲荷神社
祐徳稲荷神社 ( 佐賀県 鹿島市 )
日本三大稲荷の一つに数えられる九州屈指の神社。石壁山を背後にして本殿が立ち、広い境内に楼門・神楽殿・岩本社・石壁社・奥ノ院などが点在する。本殿は18mの舞台上に三方唐破風の屋根をつけた朱塗の絢燗たるもの。また楼門の随神像や装飾に有田焼が用いられている。本殿へのアプローチは、以前は階段のみだったが、近年、エレベーターも設...

大興善寺 ( 佐賀県 基山町 )
JR基山駅の北西4kmにある。717(養老元)年の開山で、のち円仁が中興して栄えた。境内には約5万本のツツジがあって、「つつじ寺」とも呼ばれ4月中~5月中旬がツツジの見頃である。 6月はアジサイ、新緑が美しい。また、11月中旬から下旬にかけて500本のもみじの紅葉も風情がある。

﨑津教会 ( 熊本県 天草市 )
﨑津教会のある﨑津集落(天草市河浦町)は天草下島*の南部に位置する漁村で、熊本市から西南へ約85km、車で約3時間の距離にあり、羊角湾の北岸に面している。古くは“佐志の津”とも呼ばれていた。1563(永禄6)年にキリスト教布教のため日本に訪れた、ポルトガル人宣教師ルイス・フロイスが著した「日本史」によると、1569(永禄12)年にア...

青井阿蘇神社 ( 熊本県 人吉市 )
熊本県南部の人吉市、九州自動車道人吉ICから車で10分、JR肥薩線人吉駅から南へ徒歩5分にある。 阿蘇市一の宮町の阿蘇神社の分霊を勧請したとされ、阿蘇神社に祀られる12神のうち、神武天皇の孫神で阿蘇を開拓した健磐龍命(たけいわたつのみこと)を主神として、その妃の阿蘇津媛命(あそつひめのみこと)、その子供である国造速瓶玉命(...

藤崎八旛宮 ( 熊本県 熊本市 )
熊本市街地の北東、熊本市電水道町から徒歩15分、熊本電鉄藤崎宮前から徒歩5分にある。熊本の総鎮守といわれ、熊本市を代表する神社の一つである。 935(承平5)年、朱雀天皇の平将門の乱平定の勅願により、京都の石清水八幡大神(応神天皇、比咩大神(ひめおおかみ)、神功皇后)を国家鎮護の神として熊本の地に勧請したのに始まる。社地...

本妙寺 ( 熊本県 熊本市 )
熊本城の北西に位置し、熊本市電本妙寺入口から徒歩約10分にある。 中尾山(本妙寺山)中腹に建つ加藤家の菩提寺で、開創から400年以上の歴史を持ち、九州における日蓮宗の巨刹として格式を誇る。境内には加藤清正の廟所がある。 1585(天正13)年、清正が父清忠の菩提のため大阪に建立したのにはじまり、1588(天正16)年、清正が肥後...

写真提供:阿蘇市
阿蘇神社 ( 熊本県 阿蘇市 )
熊本県北東部の阿蘇市、九州自動車道熊本ICから車で約1時間、JR豊肥本線宮地駅から北へ徒歩約15分にある。 927(延長5)年に成立した延喜式神名帳に記載された式内社で、明治時代には官幣大社とされた。全国に約500社ある阿蘇神社の総本社であり、肥後国一の宮として社格の高さを誇る。神武天皇の孫神で阿蘇を開拓した健磐龍命(たけいわ...

大江教会 ( 熊本県 天草市 )
大江教会は天草下島*の南部に位置し、熊本市から西南へ約85km、車で約3時間の距離にある。 戦国時代、領主の天草氏は1566(永禄9)年に布教を許可した。その後、キリシタン大名・小西行長*が肥後南部を支配すると、天草氏は配下になり、豊臣秀吉の「伴天連追放令*」後も宣教師を庇護した。禁教後、この地の潜伏キリシタンは島原天草一...

写真提供:一般社団法人 ぶんご大野里の旅公社
普光寺磨崖仏 ( 大分県 豊後大野市 )
大野川北岸にある普光寺の境内にある磨崖仏。ひときわ目立つのが、垂直の岩壁に彫られた不動明王で、偏平な彫りだが、高さ12mもの巨像である。左右に従えているのは、左がせいたか童子、右がこんがら童子。いずれも鎌倉時代の作といわれている。この像より少し奥まった2つの岩窟にも石仏や磨崖仏があるが、剥落が著しい。 境内に植えられ...

富貴寺 ( 大分県 豊後高田市 )
市の東部、国東半島ののどかな山里にある。六郷満山*の中で、満山を統括した本山末寺の一つで、寺伝では718(養老2)年の創建と伝える。大堂と庫裏が立つだけだが、大堂のまわりには五輪塔・笠塔婆・宝篋印塔などの石造物も残り、古刹らしい雰囲気に包まれている。 大堂は国宝指定。平安後期の建築で、平等院鳳凰堂や中尊寺金色堂などと...

両子寺 ( 大分県 国東市 )
国東半島のほぼ中央にそびえる両子山の南中腹にある。718(養老2)年の創建と伝える六郷満山中山本寺(山岳修行の根本道場)で、江戸時代には杵築城主松平氏の祈願所となり、六郷満山の総持院として隆盛を誇った。 現在の本堂である護摩堂は明治の再建だが、堅固な石垣や奥の院本堂・総門・仁王像などに往時がうかがえる。境内は紅葉の名...

写真提供:宇佐神宮
宇佐神宮 ( 大分県 宇佐市 )
宇佐駅の西約3.5km、国道10号の南側に社叢が広がる。豊前国一の宮であり、全国4万社余りある八幡社の総本社。伊勢神宮に次ぐ宗廟として朝廷から崇敬を受けた屈指の名社である。 寄藻川にかかる神橋を渡ると樹木の多い整然とした境内が菱形池を中心に広がる。広さ約50万m2、イチイガシなどの大樹がうっそうと茂る最奥の亀山に鎮...

宮崎神宮 ( 宮崎県 宮崎市 )
JR宮崎駅の北2km、古くから「神武さま」の名で知られた旧官幣大社。スギやマツ、クスノキなどのうっそうとした森の中に、白木の鳥居や神明流造の清楚な社殿が立つ。主祭神を神日本磐余彦天皇(かむやまといわれびこのすめらみこと/神武天皇)、相殿に父・鵜鷀草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)、母・玉依姫命(たまよりひめのみこと)...

青島神社 ( 宮崎県 宮崎市 )
広さ約4万m2、周囲約1.5kmの青島。その中央部に青島神社の社殿がある。ちなみに島全体は青島神社の神域。祭神は彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)、豊玉姫命(とよたまひめのみこと)、塩土大神(しおつちのおおかみ)。創建年代は不明だが、平安朝の国司巡視記「日向土産」の中に 「嵯峨天皇の御宇奉崇青島大明神」と 記され...

高千穂神社 ( 宮崎県 高千穂町 )
「日向三代」と称される皇祖神とその配偶神と、三毛入野命(みけいりののみこと)とその妻子神9柱からなる「十社大明神」。高千穂郷八十八社の総社で、約1900年前の垂仁天皇時代に創建された。1778(安永7)年に再建された本殿は、五間社流造で九州を代表する大規模なもの。 本殿は2004(平成16)年に国の重要文化財に、 鎌倉時代に源頼...

天岩戸神社 ( 宮崎県 高千穂町 )
御神体は、天岩戸神話*に登場する、天照大御神がお隠れになられた天岩戸。五ヶ瀬川の支流、岩戸川の上流に位置し、川をはさんで東本宮と西本宮があり、西本宮の拝殿裏の遥拝所からは御神体である天岩戸を遠望できる。西本宮境内には御神木である招霊(おがたま)の木*や、考古資料など約970点を展示する徴古館がある。東本宮は天照大御神が...

鵜戸神宮 ( 宮崎県 日南市 )
日南海岸の中央部、太平洋に突き出した鵜戸崎の突端に立地。創建は崇神天皇のころと伝わる古社。古くは鵜戸権現とよばれ、漁業・航海・安産の神として広く尊崇された。海中に聳える奇岩の眼前という立地もあり、「西の高野」と称され修験道の一大霊場として栄えた時期もあった。主祭神は彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)と豊玉姫命(と...

写真提供:新田神社
新田神社 ( 鹿児島県 薩摩川内市 )
薩摩川内市街の北西、うっそうとした老樹が茂る神亀山とよばれる小山の頂にある、日本神話に登場するニニギノミコトを祭る神社。枚聞神社とともに薩摩国の一の宮である。本来、一の宮は一国に一社だが、新田神社は島津氏によって一の宮と認められた。 大鳥居をくぐり、社殿まで行くには一直線に続く322段の石段を上る。御神木のクスをはじ...

写真提供:枚聞神社
枚聞神社 ( 鹿児島県 指宿市 )
古来より薩摩一の宮*として、地元の人々から篤く信仰されてきた神社。特に、交通・航海の安全や、漁業守護の神として崇敬されている。縁起は定かでないが、現在の社殿は1600(慶長5)年に島津義弘が創建し、のちに改修された。 開聞岳を仰いで参拝するために北向きに建てられた社殿は、総漆塗り。元々は開聞岳をご神体とし、今も開聞岳の...

照國神社 ( 鹿児島県 鹿児島市 )
第11代藩主・島津斉彬(しまづ なりあきら)を祀る神社で、城山の麓に社殿を構えている。斉彬の死後、1864(元治元)年に創建され、別格官幣社に列格。建物は第二次大戦で戦災に遇い、拝殿は1958(昭和33)年に再建されたもの。鹿児島の総氏神様として県民に親しまれており、初詣には大勢の参拝客でにぎわう。境内に斉彬、久光の銅像が立ち、...

霧島神宮 ( 鹿児島県 霧島市 )
建国神話の主人公であるニニギノミコトが祀られている神社。創建は6世紀、最初は高千穂峰と火常峰(ひけふのみね:御鉢)の間にある背門丘(せとお)に建てられたといわれているが、霧島山の噴火による焼失と再建を繰り返し、500年以上前に現在の場所に移された。現社殿は1715(正徳5)年、薩摩4代藩主・島津吉貴(しまづ よしたか)が寄進し...

斎場御嶽 ( 沖縄県 南城市 )
琉球の創世神「アマミキヨ」がつくったといわれる7つの御嶽(沖縄独特の祈りの場)のひとつで、琉球王国最高の聖地。南城市の海に近い琉球石灰岩の岩山にあり、6つのイビ(神域)で構成されている。御門口(うじょーぐち)から石畳の道を上がると、最初にあるのが大庫理(うふぐーい)、その先に寄満(ゆいんち)、そして巨大な三角形の岩が...